「ケニア人と勝負できる」。監督も太鼓判、
井上大仁が世界陸上マラソンに挑む。 (2ページ目)
MHPSには高卒入社の選手も多く、大卒のトップ選手も少ないため、「まずは自分のレベルに合ったレースで日本人トップになること」を目標にさせている。過度なプレッシャーを背負わせることなく実績を積ませ、日本代表を狙う実力をつけさせるためだ。それを体現したのが、2014年のアジア大会(韓国)で銀メダルを獲得した松村康平だ。松村は入社4年目に初マラソンを経験。3回目のマラソン出場となった2014年の東京マラソンで日本人トップとなり、代表の座を掴んでいる。
だが、山梨学院大で1年時から箱根駅伝に出場するなど、チームの主力として他大学のエースと渡り合った井上に関しては例外だった。入社1年目にして2016年のニューイヤー駅伝のエース区間である4区に抜擢し、区間3位で走り切った姿を見て、本人にマラソン挑戦を打診。それからわずか2カ月後には、リオデジャネイロ五輪の代表選考レースになっていたびわ湖毎日マラソンで、井上をいきなりデビューさせた。
「ハーフマラソンをやらせてからとも思っていましたが、五輪選考会の緊張感を味わってもらいたかったのと、そこで自分の力を吐き出してどこまで我慢できるかを経験させたかったんです。井上は素質が違いますから、失敗しても課題を見つけてくれればいいと。実際に、レース後半で練習の疲労が出て失速し、そのあとケガをしたことから、本人も『土台がないとうまくいかないし、故障もするんだな』ということを実感していたので、そこを改善していけば次は失敗しないだろうと思いました」
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