井上大仁の妄想力。「東京五輪のマラソンで勝つイメージもできている」 (2ページ目)
駅伝を走る前にはいつも「一緒に頑張りましょうと話しかけてくれた」というオムワンバに、初めは憧れの気持ちを抱いていたが、徐々に、「彼ひとりに頼るわけにはいかないなという気持ちが出てきて、頑張らなければいけないなと思うようになった」という。
「エノックは下りを苦手にしていて、1年の時は『足が痛いんじゃないか?』と心配するような走りだったんです。そういう弱点のような部分も見えたし、スピードでは勝てないけど、長い距離だったら負けない自信もあった。完全に『参りました』という気持ちにはならなかったのがちょうどよかったんです。同じチームの後輩として、ライバルとして彼がいてくれたおかげで今があるし、これからもそういう関係でありたいと思います」
井上が初めて「世界で戦いたい」という夢を抱いたのは、長崎の鎮西学院高校時代。他校の同学年には村山謙太・紘太兄弟や市田孝・宏兄弟(両兄弟ともに旭化成)、中村匠吾(富士通)、西池和人(コニカミノルタ)といった錚々(そうそう)たる選手が顔を揃えていた。
そんな中、井上の5000mのベストは3年時に出した14分29秒76で、その年の高校ランキングは127位。インターハイでは全国大会に出場できず、高校駅伝でも長崎県予選で名門・諫早高校の壁を破れぬまま卒業を迎えた。
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