高橋尚子の世界最高記録から15年。なぜ日本マラソンは弱くなったか? (6ページ目)
日本の女子マラソン全盛期は、高橋の練習量がひとつの目標になり、小出監督を筆頭に、野口を育てた藤田信之監督、天満屋(山口衛里、坂本直子、中村友梨香、重友梨佐)の武富豊監督、三井住友海上(渋井陽子、土佐礼子)の鈴木秀夫監督など、実績ある監督たちが覇を競い合っていた。そんななかで選手たちも、「監督の言う練習をこなせるようになれば強くなれる」と信じ、コツコツと努力を重ねた。選手自身が意識レベルを高め合っていたからこそ、強い日本は続いたのだ。
だが幸福な時代は、そうとは気づかぬうちに終わりを迎えていた。かつて男子マラソンでは、1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した森下広一がケガで走れなくなり、目標となる選手がいなくなったことで日本勢全体が一気に低迷した。それと同じように、女子も北京五輪直前の野口のケガと、その代役を果たす選手がいなかったことで、目標にする選手が不在となった。世界レベルの選手の存在と、その目標にチャレンジする若い選手たち。そんなサイクルによる底上げが絶たれたことが、今の日本マラソンの弱体化を招いたと言えるだろう。
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