高橋尚子の世界最高記録から15年。なぜ日本マラソンは弱くなったか? (3ページ目)
レース後にそう話したあと、高橋は他の選手へ向けても、こういう言葉を口にした。
「走ることが怖くてチャレンジできない人もいるし、負けることが恥ずかしいとか、カッコ悪いと思って踏み出せない人はいっぱいいると思います。でも、負けることとか、負けても一生懸命やることが恥ずかしいことでは、絶対にないと思う。たとえ負けたとしても、何かに向かって全力でがんばることが、一番大事だと思います」
高橋が強い口調でそう話したのち、2004年にはアテネ五輪代表を逃した渋井陽子がベルリンマラソンで2時間19分41秒(当時世界歴代4位)を出し、2005年にはアテネ五輪で優勝した野口みずきが同じベルリンで2時間19分12秒(当時世界歴代3位)を出している。当時の日本女子マラソンの強さというのは、高橋がいう「チャレンジし続ける選手」が次々に出現してきたからだ。
高橋よりも以前、日本女子マラソンのレベルアップに先鞭(せんべん)をつけたのは、山下佐知子であり、有森裕子だろう。
彼女たちが台頭してきた1980年代後半は、1985年にイングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)がロンドンマラソンで2時間21分06秒、ジョーン・ベノイト・サミュエルソン(アメリカ)がシカゴマラソンで2時間21分21秒を出して以来、記録の進化が止まっていた時代だった。そんな時期、1991年の世界選手権で山下が2位に入り、1992年のバルセロナ五輪で有森が銀メダルを獲得。暑さとも戦わなくてはいけない夏のマラソンで世界に通用することを証明し、選手たちに勇気を与えた。
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