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【マラソン】エスビー食品からDeNAへ。
マラソン重視の文化は継承されるのか (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

 他にも日本の実業団で初めてケニア人選手を招き入れ、当時では珍しく海外での長期合宿を積極的に行なった。それらはすべて「世界で戦うマラソン選手を育成する」ため。最も大切なのはマラソンであり、駅伝でもトラック種目でもないということがエスビー食品最大の哲学だった。

 しかし90年代以降は苦戦を強いられる。早稲田大から鳴り物入りで加入した花田勝彦、櫛部静二、武井隆次の"早大三羽ガラス"、さらには箱根駅伝が生んだスター、渡辺康幸はマラソンでの五輪出場が叶わなかった。

 2000年度からは駅伝への出場も見送り、マラソンに専念することを表明したが、オリンピックの出場は同年のシドニー大会にトラックで選出された花田勝彦、そして2004年アテネでマラソンを走った国近友昭の2名にとどまった。廃部の決定は「経営合理化の一環」としか発表されていないが、2008年北京、2012年ロンドンと代表の座を逃したこと、そして駅伝に出場しないため、広告効果を期待できないことが理由であることは容易に推察される。

 今後、新チームDeNAで会社から期待されるのは駅伝での優勝だ。しかし、エスビーに在籍していた彼らが、簡単に駅伝のみでの勝利を目指すチームに引き下がるとも思えない。近年は駅伝を走らないことでマラソンチームとしての立ち位置がクローズアップされてきたが、瀬古氏自身は以前から「駅伝をやりながらマラソンで強くなった方がいい」と語っており、駅伝からの撤退も当初は一時的な措置のはずだった。つまりマラソン強化のための駅伝という思いが瀬古氏にあったのだ。

 加えて近年のエスビー食品は2009年ベルリン世界陸上代表の上野裕一郎、そして早大在学中の2008年に北京五輪代表になっている竹澤健介など、いわゆるスピード型の選手が多く、トラックを主戦場としていた。彼らにとって駅伝回避がプラスの方向に転じていたかどうかも疑問が残る。駅伝を回避することで、彼らのマラソンへの移行の場を狭めた可能性もあるからだ。また駅伝という、冬季にプレッシャーのかかる大舞台を経験している選手とそうでない選手の間には精神面でのタフさ、そして練習でのモチベーションに大きな差が生まれる事も事実だ。

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