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「この1年間は、ようやく純粋にテニスができた」国枝慎吾が東京パラ優勝で感じた、車いすテニスの社会的認知の変化 (3ページ目)

  • 荒木美晴●文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●撮影 photo by Uehara Yoshiharu

 これらの例からも分かるように、世の中の車いすテニスを取り巻く環境や人々のパラスポーツに対する見方は少しずつ、しかし確実に変わっていった。そして、それをもっとも実感したのが、競技人生の集大成となった東京パラリンピックだったと、国枝氏は振り返る。無観客開催ながら、報道等を通して、競技レベルの高さが広く知られた。大会後の反響はすさまじく、国枝氏のもとには金メダル獲得の祝福だけでなく、「車いすテニスって面白い」といった数多くの率直な感想が寄せられた。「車いすテニスがスポーツとして認められた手ごたえがあった」と、国枝氏はうなずく。

 さまざまな思いが詰まった金メダルを手にしたあとも、東京パラリンピック直後の全米オープン、そして年が明けて2022年の全豪オープン、全仏オープンで勝利。さらに、これまで唯一無冠だった、前述のウインブルドンのシングルスを制する大活躍を見せた。グランドスラムタイトルは50個に増え、生涯ゴールデンスラムの偉業も達成。そして、このウインブルドンの優勝が、東京パラリンピック以降ずっと頭にあったという「引退」を決意させた。

 理由について、国枝氏は会見でこう振り返っている。

「去年、グランドスラムで3勝するなど調子がよかったのは、今まで『スポ―ツとして皆さんの目を変えたい』というところに感じていたプレッシャーが、この1年間は全くなかったから。一度もそういった気負いを感じることなくプレーでき、ようやく純粋にテニスができて、相手とも向き合えるようになりました。(ウインブルドンでも)そういう戦いをしたので、もう最後の時がきたのかなと思いました」

 そして、笑顔でこう付け加えた。

「女子の上地結衣選手や男子の小田凱人選手ら、若い選手が純粋にスポーツとして向き合える土台ができた。そういう環境を用意できてよかったなと思います」

 車いすテニス界に、そして社会に変革をもたらした国枝慎吾氏。「キング」の称号にふさわしい、美しい引き際だった。

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