パラスキーのレジェンド、新田佳浩が選手兼コーチとして過ごした1年 そこで見えた「日本チームの未来」と「もうひとつのゴール」

  • 星野恭子●取材・文・写真 text&photo by Hoshino Kyoko

 クロスカントリースキーで1998年長野大会から2022年北京大会までパラリンピック7大会出場のレジェンド、新田佳浩(日立ソリューションズ)にとって今季(2022/23シーズン)は、久しぶりに好結果を残せたシーズンだった。

最終戦を終えて、選手兼コーチとして臨んだ今シーズンを振り返った新田佳浩最終戦を終えて、選手兼コーチとして臨んだ今シーズンを振り返った新田佳浩 序盤(22年12月)のワールドカップ・フィンランド大会で5季ぶりに表彰台(2種目3位)に立つと、終盤の23年2月、同アメリカ大会でもスプリントで3位に食い込み、年間総合でも3位に入る快挙。最終戦として3月に札幌市で開催された「CO・OP2023FISパラ・ノルディックスキーアジアカップ札幌大会~ウクライナ特別招待・親善大会」では実施全3種目で表彰台に上り、有終の美を飾ったのだ。

 だが、新田自身は、「試行錯誤しながら、苦しいシーズンだった」と振り返る。

 約1年前の北京パラリンピックで自身はメダルなしに終わり、「引退も考えていた」が、現役続行を決意。翻意したのは、北京大会から帰国直後に、同大会金メダリストの川除大輝(日立ソリューションズ)をはじめ、他の日本代表選手たちから「現役を続けてほしい」と望まれたからだ。

「みんなから、『一緒にやりましょう』って言われて、自分がいることでチームがうまく回るのなら、そういう選択肢もあってもいいのかなと思いました。健常者のコーチでは教えられないことも、障害をもつ自分が教えることでわかりやすく伝えられたり、同じ苦労があると感じてくれたりする部分もあるかなと。それに、『100%のアスリート』という立場から離れてみることで、僕自身も学ぶことがあるかもしれないとも思いました」

 そこで、選手生活を続行しながらコーチ的な立場も担うことで、後輩たちに近い位置からアドバイスを送り、チーム全体の底上げを目指すことにした。だが、シーズンオフに体調を崩したり、シーズンイン後も思うように体が動かず、「選手としてもやりきれていない」と感じ、「本当にチームのためになっているのか」と悩んだこともあったという。

「心と体のバランスが難しかったです。それに、自分自身が今までできていたことを、具体的な言葉に落とし込んで、(後輩)選手に伝えることは難しく試行錯誤しました。それぞれの選手との距離感も難しかった。何回もアドバイスされたら嫌だなと感じる選手もいれば、積極的に聞きたいと思っている選手もいますから」

 そんなふうに悩みながらの1年だったが、新田の新たな挑戦はやはり意義のあるものだった。たとえば、北京大会で金メダルを獲得し、新田からエースのバトンを引き継いだ川除は、「他のコーチのアドバイスにはピンとこないこともあるが、新田さんは選手ならではのアドバイスで、ピンポイントで教えてもらえる部分があった」と言い、「自分ひとりで考え込むのではなく、相談しやすい立ち位置の人ができて気持ち的にラクになりました」と振り返った。

 新田自身も手応えは感じている。

「スキー技術も年々進化していくなかで、自分が滑っているからこそ、こんな滑り方や考え方もあるんだなと学べることもありました。コーチ(専任)ではなく、『選手兼』という今の立場が一番いいかなと思っています」

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る