車いすバスケの日本のエース香西宏昭。世界選手権で「東京パラリンピックの銀メダルがまぐれじゃなかったことを証明したい」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

【アメリカ留学での日々】

 2007年の夏、香西はイリノイ州の短期大学に進学し、練習はイリノイ大学のチームでできるようにマイクヘッドコーチが都合をつけてくれた。最初は英語がわからないので、練習も先頭に立つのではなく、コーチが説明し、選手がやっているのを見てから動いた。慣れてくるとチームメイトから「なぜ、こうしなかったのか」と聞かれたりしたが、その時に自分の考えを英語で伝えることがうまくできず、ストレスがたまった。

「最初はもう必死でしたね。イリノイ大学に編入したいので勉強も大変でしたし、練習で言いたいことが伝えらず、英語が自分の体に浸透するまで1年半ぐらいかかりました」

 2010年の1月にイリノイ大学に編入すると香西はヘッドコーチからさりげなく、「キャプテン」を言い渡された。最初は「えっ?」と思ったが、「日本代表になることを考えてもキャプテンになるのはいい経験になる」と言われて、そこまで考えてくれているのならと思い、受諾した。

 だが、キャプテンになってからもアメリカに来てからの不安がついて回った。

「語学力ですね。自分が思っていることを必死に伝えようとするんですけど、おかしな英語なのか、クスクスと笑っている選手がいたんです。そういう時は、ちゃんと伝わっていないなぁって不安になりました。あと、完璧を目指すあまり、かなり選手に怒鳴っていたんです。さすがに、そのままじゃまずいと思い、あとでコミュニケーションを取りに行ったんですが......正直、キャプテンとしてはまったくいいキャプテンではなく、みんな、僕の感情に振り回されながらもついてきてくれて本当にありがたかったです」

 それでも香西はチームを牽引し、3年時には全米大学選手権で準優勝(1年時優勝)、年間MVPを獲得し、4年時にも年間MVPになった。部活をやりきり、6年間ものアメリカ留学を終え、2013年にイリノイ大学を卒業した。

「高校まで成績は中ぐらいで英語もそんなにできなかった。そんな僕でも卒業できた。自分の人生で初めて誇れるものになりました」

【アメリカ留学後はドイツへ】

 大学卒業後、香西はブンデスリーガのBG Baskets Hamburg(ハンブルク)に入団し、リオパラリンピックを目指した。しかし、本番ではグループリーグで敗退するなど9位に終わり、メダルには遠く及ばなかった。

 その翌年、同じくドイツの名門クラブRSV Lahn-Dill(ランディル)に移籍し、香西はプロ選手としてプレーした。チーム指定のマンションに住み、スポンサーが用意してくれた車で練習に行き来する。チームはフランクルトから約60キロ離れた郊外にあるが、ファンクラブ会員中心のファンは熱い。鳴り物で応援してくれるのでアリーナ内は賑やかで、楽しい雰囲気だ。

「会場は、すごい熱気ですけど、ヤジも飛んできます(笑)。僕はドイツ語がわからないのでいいんですけどね。あと、ミスすると『あぁー』って声が出てくるんです。それって車いすバスケットボールをスポーツとして見てくれていることだと思うんです。ドイツは、地域総合型スポーツクラブがたくさんあって、そのなかに車いすバスケットのチームがあるし、そこに行けばスポーツができる。スポーツが文化、日常に根づいているなと思いました」

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