車いすバスケの日本のエース香西宏昭。世界選手権で「東京パラリンピックの銀メダルがまぐれじゃなかったことを証明したい」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

3ポイントシュートの名手として東京パラリンピックで活躍した香西宏昭3ポイントシュートの名手として東京パラリンピックで活躍した香西宏昭

 東京パラリンピックで非常に盛り上がったのが、チームスポーツだった。とりわけ車いすバスケットボールは、その迫力と面白さから注目され、見事、銀メダルも獲得、国民の喝さいを浴びた。そのチームのエースとして活躍したのが、香西宏昭である。

「銀メダルを獲ってもあまり実感がなくて、以前と一番の違いを感じたのがSNSのフォロワー数が一気に増えたことでした(笑)」

 そう語り、うれしそうな表情を浮かべる。

 12歳から車いすバスケットボールを始め、銀メダルまでのぼりつめた車いすバスケライフは、どんな日々だったのだろうか。

【車いすバスケをはじめたきっかけ】

「僕の人生のターニングポイントになったのは、12歳の時の及川晋平さんとの出会いです。そこから車いすバスケットボールを始め、イリノイ大学に行き、ドイツでプレーすることができましたし、東京パラリンピックの銀メダルにもつながっているんですよ」

 12歳の時、父に車いすバスケットボールの体験会に連れて行かれ、その時に出会ったのが千葉ホークスの選手の及川選手だった。千葉ホークスは、多くの日本代表選手を輩出した車いすバスケットボールクラブで、そのチームに勧誘されたのだ。最初は大人ばかりで不安しかなかったが、選手が楽しそうにプレーする姿を見て、やろうと決心した。そして、中1の夏、香西の人生に大きな影響を与えるもうひとりとの出会いがあった。

「当時、イリノイ大学で車いすバスケットボールのヘッドコーチをしていたマイク・フログリーさんです。その時、マイクさんから高校を卒業したらイリノイ大学にこないかっていう誘いを受けたんです」

 コーチは、アメリカの大学のリーグ事情や環境についていろいろと教えてくれた。最初は、口のうまいおじさんぐらいにしか思っていなかったが、節目に連絡がくるので「この人は本気なんだ」と思うようになり、高校に入るとイリノイ大学への留学が視野に入るようになってきた。

「でも、留学は、かなり迷いましたね。その時、背中を押してくれたのが及川さんでした。どうしたらいいのか、相談しに行った時、『なぜイリノイ大学なのか』と逆に質問されたんです。相談しに行っているのになぁって思ったんですが、その時に『マイクさんの下で学びたいから』と答えたんですよ。そういうことを繰り返しているうちに自分の考えが明確になっていったんですが、及川さんがうまく言語化してくれたのかなって思いましたね」

 及川はアメリカに渡り、イリノイ大学で車いすバスケを学んでいたので、同じ道を進むことを考えている香西に気づきを与えてくれたのだ。

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