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パラ陸上のレジェンドが語る。
競技用車いす「レーサー」30年の変遷 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu

89年「第9回大分国際車いすマラソン大会」。3輪に進化しているが、脚は前に出す形/永尾さん提供89年「第9回大分国際車いすマラソン大会」。3輪に進化しているが、脚は前に出す形/永尾さん提供 その後、より軽いアルミ製のものが主流になり、1990年代に入ると、より空気抵抗が抑えられる3輪へと進化。座位にも変化が見られ、脚を前に出すより前にたたむように座ることで、力が出しやすくなったという。

「このころはまだスポークホイールで、ハンドリムを握るようにして漕いでいました。それに、まだトラックレバー(400mトラックなどでコーナーを曲がる際、前輪を左傾斜に合わせて曲げ固定し、また直進に戻すレバー)がついていないため、カーブは体幹を使って曲がらなければならない。だから、僕のT54と、ひとつ障がいクラスの重い(腹筋が機能しない)T53とのタイム差は大きかったですね」

93年「第4回はまなす全国車いすマラソン」。徐々に現在のレーサーの形に近づいてきている/永尾さん提供93年「第4回はまなす全国車いすマラソン」。徐々に現在のレーサーの形に近づいてきている/永尾さん提供 それから間もなくして、トラックレバーが装着されるようになる。両手で車輪を漕ぎ、スピードを維持しながら、グローブで「コツン」と叩いてレバーを押し込むことで方向操作ができるようになった。

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