2020年東京パラをチャンスに、日本は変われる (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Igarashi Kazuhiro、picture alliance/AFLO

――自分たちの住むまちの未来につながっていくんですね。

伊藤 すべての障がいの人、すべての高齢者にとって何不自由なく行ったり来たりできる仕組みはあり得ないんですよ。それは設計上も制度上もあり得ない。まちを創るのは結局人間なので、ほんのちょっと手伝ってみたら全部できたとか、そういうことの繰り返しになるはずなんです。今、2020年東京パラというひとつの目標があることをチャンスと捉えて、2020年以降の東京あるいは日本のあるべき姿を創っていけたら素晴らしいですよね。

――思えば、今から50年前の1964年、東京パラが行なわれた時代に比べると色々なことが変わりました。

伊藤 その時代は日本の医師の多くが、障がい者に対してスポーツを薦めていなかった時代だったので、そう考えるとこの50年でかなり変わっていますよね。

――そうですね。かなり意識が変わっています。

伊藤 ちょっとずつちゃんと変わってきているんです。あとは先ほども言ったように2020年をチャンスと思ってこれから6年、さらに加速して変えていきたいですね。

(おわり)

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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