2020年東京パラをチャンスに、日本は変われる (2ページ目)
――ふたつめは?
伊藤 「運営」についてですね。運営で重要なのはやはりボランティアだと思います。ソチパラではボランティアがきちんと取り組んでいた印象です。若い人が多くて平均年齢は25歳だとか。もともと、ロシアには「ボランティア」という文化がほとんどなかったと言います。そこで、全国の大学にボランティアセンターを設置して、将来、世界を舞台に活躍しようという若い学生たちにボランティアという新しい文化の興味を喚起しました。この政策は大成功だったと思います。
――ボランティアの教育に取り組んでいたんですね。
伊藤 選手村ならぬボランティア村というのがあって、早い人は1カ月前から入村して、研修を受けていました。
――2020年の東京パラリンピックに置き換えると、ボランティアの人はもちろん東京が目指すのはどんな大会でしょうか?
伊藤 最終的に大会を作るのは観客だと思っています。観客が国を超えて、スマートでフェアな応援をする。選手たちを鼓舞する。するとそこには世界記録や世紀の名勝負がうまれる。それを観客は目撃することができるんです。言い換えれば、素晴らしい大会は観客が創り出すことができる、と思うんです。
――観客が大会を創る。そのためにはもっと障がい者スポーツに関心を持ってもらう必要がありますね。
伊藤 そうですね。まだまだパラに限らず、障がいのある人を特別な目で見ていると思うんです。声のかけ方が難しいとか、かけたらまずいんじゃないかとか、考えてしまう人がたくさんいる。あるパラリンピアンが日本でいちばん障がい者に接するのがうまいのは、大阪のおばちゃんだと言っていました(笑)
――大阪のおばちゃんですか。
伊藤 その選手曰く、大阪で車いすに乗って街に出ると、ちょっとした段差の手前で、おばちゃんが「あんたちょっと行かれへんやろ」「私に任しといて」って声をかけてくれるらしいんです。そして、近くにいる人に「ちょっと兄ちゃんこの車いす持ったげて」って頼んでくれる。そういう気さくさが大阪のおばちゃんにはあるんです。それを聞いたときに「確かに」って納得しました。
――私は関係ない、じゃなくて。
伊藤 そうです。河合純一さん(※)がおっしゃったんですが、「僕たち障がい者は、高齢者の先輩だと思ってくれたらいいんじゃないか」と。加齢に伴って体も思うように動かなくなって、歩けなくなったり、見えにくくなったりしますよね。そのときに生まれたときから、あるいは若いときから、工夫して色んなことを実現してきた障がい者の方から、私たちが学べることがたくさんあるはずです。パラリンピックに向けての仕組みづくりやまちづくりは、そのまま超高齢社会に直結して役に立つものになるはずなんです。
※全盲のスイマー。水泳でバルセロナパラでは銀2銅3、アトランタ金2銀1銅1、シドニー金2銀3、アテネ金1銀4銅1北京銀1銅1と、日本を代表する選手。
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