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鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす (3ページ目)

  • text by Sportiva

「私は中距離がメインだったんですが、競輪学校では短距離の練習ばかりでした。ナショナルチームに所属しているなら(短距離も)できるだろうという印象で見られていました。(ナショナルチームの)海外遠征には連れて行ってもらえましたが、遠征から帰ってきて、時差ボケの状態でT教場()で練習してと。もうきつすぎて部屋で泣き崩れていました」
※当時の校長・瀧澤正光氏が将来有望な候補生たちを直々に指導した教場

 救いとなったのは同期の候補生の存在。「ジュニア世界選手権の前には、激励の寄せ書きを贈ってくれたり、出席できなかった学科のノートを見せてくれたり」と、多大なるサポートを受けた。日本競輪学校とナショナルチームの両立も仲間たちの支えで何とか乗り越えることができ、見事成績1位で卒業。これも「仲間に恵まれた」と本人は強調する。

 そして2016年、19歳の時に、晴れてガールズケイリンデビューを果たした。

「自転車が大好きだったので、唯一ずっと続けられた」という鈴木 photo by Noto Sunao(a presto)「自転車が大好きだったので、唯一ずっと続けられた」という鈴木 photo by Noto Sunao(a presto)この記事に関連する写真を見る

【失意からの決断】

 鈴木はガールズケイリンデビュー後、しばらくはナショナルチームと並行して活動していたが、東京オリンピックが近づくにつれて徐々に競技のほうにシフトしていった。

「オリンピックを本気で狙うのであれば、競技だけに集中しなくてはいけないという覚悟が出てきました。遠征も頻繁にあって、オーストラリアで3カ月半くらいの合宿をしたり、スペインでのロード合宿では崖みたいな山を登ったりしていました」

 この本気度が成績にも表れ、2017年にはUCIトラックワールドカップ第2戦のチームパシュートで銅メダルを獲得。翌年にも同シリーズで銅メダルに輝いた。チームのメンバーも「本当に出場できるかもしれない」と感じ始めていた。

 しかし「他の国もオリンピックに向けて仕上げてきて、タイムをどんどん伸ばしてきた」ため、日本は苦戦を強いられてしまう。

「東京オリンピックの出場枠は8チームで、日本は(五輪出場資格ランキングで)9位とか10位の位置。なかなかそこに入れませんでした。だから2019年の時にもう出場は厳しいと判断されてしまいました」

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