【指揮官と箱根駅伝】創価大・榎木和貴監督の原点 中央大での「4年連続区間賞」「32年ぶりの総合優勝」への道程
現在は創価大の指揮官として箱根制覇を目指している榎木和貴監督 photo by Shogo Murakami
連載第2回:指揮官と箱根駅伝/榎木和貴(創価大駅伝部監督、中央大OB)〜前編〜
現在、箱根駅伝に注力する学校の指導にあたる多くの指揮官は、自身もかつてランナーとして箱根路を走った経験がある。彼らにとって学生時代、そして指揮官となった今では、箱根駅伝はどのような存在なのか。
それぞれの歩みと心境の変化を紹介する本企画の第2回目は、現在創価大学駅伝部で指揮を執る榎木和貴監督。現役時代は中央大で4年連続区間賞を獲得し、3年時は総合優勝に貢献するなど箱根路の歴史に名を刻む実績を残したが、どのような思いで走り続けていたのか。
【高校時代の恩師の影響で中大】
102回を数える箱根駅伝の歴史において、1年時から4年連続で区間賞を獲得したランナーはわずか8人しかいない。その快挙を成し遂げたひとりが、現在創価大の指揮を執る榎木和貴監督だ。
榎木は1993年に中央大に入学。大学1、2年時は8区で、3、4年時は4区で区間賞に輝き、3年時の第72回大会(1996年)はチームの総合優勝に貢献している。
宮崎県出身の榎木は小学生の頃は剣道をやっていたが、中学生になって陸上に取り組み始めると、全国大会に出場するまでに力をつけた。そして、強豪・小林高校に進んでからも全国高校駅伝に3年連続出場するなど活躍し、その先の目標として箱根駅伝を目指すようになった。
「高校の時の指導者だった冨永博文監督が中大出身で、箱根駅伝の放送が日本テレビで始まったのが冨永監督が大学4年生の時でした。駅伝シーズンが近づくと、その当時の中継映像のビデオが食事の時に流れていたんです。そういうのもあって、高校時代に箱根駅伝に憧れを持ち始めました。
そもそも当時の宮崎では、復路は編集されたダイジェストが放映されていましたが、(日本テレビ系列のテレビ局がないため)往路は放送がなかったんです。
私の3つ上の年代には"早大三羽烏"と呼ばれた武井隆次さん、花田勝彦さん、櫛部静二さん、一つ上に渡辺康幸さんがいらっしゃって、当時は早大がスター集団でした。留学生を擁する山梨学院大も強くて、テレビでは盛り上がりを見せ始めていました」
そんな時代にあって、榎木が憧れたのは、恩師・冨永監督の母校・中大だった。
「シンプルな真っ白に真紅の"C"。ユニフォームを見て、一番憧れを持ちました」
当時の中大は箱根駅伝で常に上位だったが、6連覇を果たした第40回大会(1964年)を最後に、総合優勝からは約30年も遠ざかっていた。その6連覇のメンバーで外部コーチとして指導に当たっていた碓井哲雄氏からスカウトを受けた際に「近いうちに優勝をしなければいけない。そのために力を貸してほしい」と言われたことも、榎木の胸を打った。
「箱根で勝つために大学を選びましたし、同期には松田(和宏、福島・学法石川高校監督)もいたので、"絶対に箱根で優勝しよう"と1年目からチャレンジしていきました」
こんな強い意志を持って、古豪の門をたたいた。
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。


