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【指揮官と箱根駅伝】創価大・榎木和貴監督の原点 中央大での「4年連続区間賞」「32年ぶりの総合優勝」への道程 (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Satoshi Wada

【総合優勝に貢献した3年目の快走】

 3年目は「三大駅伝で全部優勝しよう」という意気込みだった。

出雲は3位、全日本は2位と、惜しくも優勝には届かなかったものの、チームは優勝争いを繰り広げ、箱根に向けて手応えをつかんだ。榎木は、出雲は1区で、全日本は2区で区間賞と、主力選手のひとりとして存在感を示した。

 何より全日本で味わった悔しさは起爆剤になった。優勝をつかみかけたものの、最終区で早大の渡辺に逆転を喫し、その当事者となった松田の悔し涙がチームの結束をより強固なものにしていた。

「みんなが松田の悔し泣きを見たので、"松田のためにも絶対に優勝しなければいけない"と、箱根に向けてモチベーションが上がったように思います」

 チームは、強い意気込みを持って、箱根駅伝に臨んだ。まかされたのは、準エース区間の4区だった。

「復路は自分のペースを崩さずに1km3分ペースで押し切れば、当時は区間賞が獲れました。でも、往路ではそうはいかない。速い入りとか、駆け引きに対応できるような走りが必要です。ようやく往路で戦える力がついたと、大志田さん(秀次、榎木の2年目にコーチ就任。現・明治大監督)に認めてもらえたのかな」

 この年の第72回(1996年)大会では、榎木がまかされた4区で波乱が立て続けに起きた。

 榎木がライバルになると踏んだのは山梨学院大の中村祐二だった。社会人を経て大学生になった中村は同学年。箱根では1年時に3区、2年時に1区で、榎木と同様に2年連続で区間賞を獲得し、チームはいずれの年も総合優勝を飾っている。さらに、1995年のイエテボリ世界選手権に日本代表としてマラソンに出場しており、学生の枠を超えた活躍を見せていた。

「中村さんとの勝負を意識しながらも、連続区間賞が途切れるなら今年なのかなと思っていました。直前に"ケガをしているらしい"という噂が流れましたが、中村さんだったら少々痛みがあるぐらいなら走るだろうと思っていたので、どれだけ抗えるかにチャレンジしようと思いました」

 それが正直な榎木の胸中だった。

 その中村から39秒遅れの6位で、榎木は平塚中継所をスタートした。

 ところが、走り始めて早々に、今にも歩き出しそうな中村を抜き去った。さらに1㎞ぐらい進むと、中継車が折り返して後方に向かっていたので、ただ事ではないことが起きているのを察した。

 走り終えて知ったことだが、山梨学院大の中村だけでなく、2位を走っていた神奈川大の高嶋康司にもアクシデントがあり、4区で2校が途中棄権していた。

 一方、榎木の走りは快調そのものだった。

「自分のなかでは最高の走りができました」

 テレビにはなかなか映されなかったが、4つ順位を上げる活躍で2位に浮上。小田原中継所が近づくにつれ、3分近く前を走っていた首位の早大のエンジのユニフォームも視界に捉えられるようになった。

 結局、先頭までは届かなかったが、区間記録に迫る力走で早大との差を32秒まで縮め、逆転優勝に望みをつないだ。

 往路を2位で終えた中大は、復路の6区でついに先頭に立つ。さらに、8区の川波貴臣は、榎木が持っていた区間記録を更新する快走で、粘る早大を一気に突き放した。そして、9区、10区と危なげないレース運びで、ついに32年ぶりの栄光を手にした。

 悲願の箱根優勝に、もちろん達成感はあった。だが、いつまでも感慨にふけっているわけにはいかなかった。

「やっぱり自分たちが最上級生になった年に勝ちたい。そんな話を、松田ともしていました。戦力も充実していたので、4年目は連覇を確実にやり遂げようと考えていました」

 箱根連覇を誓って、いよいよ大学ラストイヤーを迎えた。

後編につづく:「やっぱり優勝監督になりたい」中央大4年時の悔しさと指導者として再燃した駅伝への思い

●Profile
えのき・かずたか/1974年6月7日生まれ、宮崎県出身。小林高(宮崎)―中央大―旭化成―トヨタ紡織。全国高校駅伝に3年連続出場を果たし、2年時には4区で区間賞を獲得。中央大では箱根駅伝で4年連続区間賞に輝き、3年時(1996年、第72回大会)にはチーム14回目の総合優勝に貢献した。卒業後は旭化成に入社し、2000年の別府大分毎日マラソンで優勝。2004年に沖電気のコーチに就任し指導者となる。その後、トヨタ紡織陸上競技部コーチ(選手兼任)、監督を経て、2019年に創価大学陸上競技部駅伝部の監督に就任すると、1年目の箱根でチーム史上初のシード権を獲得し、現在まで7大会連続シード権獲得中。就任2年目の2021年大会では往路優勝、総合2位に導いた。

著者プロフィール

  • 和田悟志

    和田悟志 (わだ・さとし)

    1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。

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