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鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす (2ページ目)

  • text by Sportiva

ガールズケイリンを彩る選手のひとり photo by Manabu Takahashiガールズケイリンを彩る選手のひとり photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る

【高校から華々しい活躍】

 小学生時代から自転車に興味を持ち始め、地元の大会で結果を出していた鈴木。中学生時代もバレーボール部に所属する傍ら、自転車は続けていた。そして高校から自転車競技部に入り本格的に始めると、いきなり才能を発揮する。

 1年生ながら全国高校選抜自転車競技大会でケイリンで頂点に立ち、500mタイムトライアルでは大会新記録で優勝。ジュニアのナショナルチームにも所属し、将来を嘱望される選手となった。

 海外遠征にも行くようになり、2年時にはアジアジュニア選手権のスクラッチで優勝。3年時には同大会でケイリン、チームパシュート、スクラッチの3冠を達成するなど、世界の舞台でも好成績を連発した。鈴木は「高校の時は楽しかった」と当時を振り返る。

 夢は東京オリンピックへの出場だった。鈴木が1年時の2013年に、東京での開催が決定。自転車競技トラックの開催地は、地元・静岡にある伊豆ベロドロームだった。富士市出身の彼女にとって、伊豆は「地元中の地元」という感覚。「オリンピック出場だけを目指していた」と好成績にも満足することなく、日々努力を重ねた。

 その夢の最短コースとして選んだのが、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)。しかし父親の反応は芳しくなく、「初めて言い合いになった」という。

「大学に行かないのが心配だったと思いますが、オリンピックに出場するためには、わざわざ関東の大学に行って練習をするよりも競輪学校に入ってずっと伊豆にいたほうがベストだという感じで納得させました。『もう願書は出したから』と強行突破しました」

 当然のように日本競輪学校には一回で合格。高校卒業後に入学した。

 ちなみに彼女の進路に難色を示していた父親は「今は一番応援してくれています」(鈴木)と、娘の活躍を誰よりも喜ばしく思っている。

 次世代を担う大器として日本競輪学校に入学した鈴木だが、彼女を待っていたのは過酷な毎日だった。

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