体操年代別優勝→自転車転向→国籍変更→世界最速記録樹立 イギリスの怪物が日本の競輪参戦に与える衝撃 (2ページ目)
【大胆な競技転向】
幼少期から体操競技を始めていたリチャードソン。9歳の頃に父親の仕事の都合でイギリスからオーストラリアに移住するも、体操競技は続け、トレーニング漬けの毎日を送っていた。14歳の時にはオーストラリアの全国大会で年代別優勝を果たすなど、早くからその才能が開花。将来はオリンピック出場も夢ではなかったはずだが、そんな折、不運にもヒジのケガに見舞われてしまう。
大事を取ってここは休養かと思われたが、リチャードソンは大胆にも競技転向を決断する。
「1年間だけですが、体操と並行して自転車競技もやっていました。それまで11年間体操をやってきましたが、競技転向はそれほど難しい決断ではありませんでした。自分も若かったし、みんなも若い頃はあまり深く考えないですよね。自転車競技はまったく新しいものでしたし、面白そうだと思って転向しました」。
実にあっさりと転向してしまうところが、リチャードソンの思いきりのよさなのだろう。
ただ競技歴わずか1年の自転車で、体操のような輝かしい成績を残せるとは到底思えない。しかしリチャードソンは、なんとここから自転車でも急速に成長していく。
最初に入った「ミッドランド・サイクリングクラブ」から、将来有望な選手を発掘・育成する機関「ウェスタン・オーストラリアン・インスティテュート・オブ・スポーツ」に招待されると、将来性を見込まれて奨学金をもらうことになる。さらに、ナショナルチームもトレーニングに励む育成組織「ポディウム・ポテンシャル・アカデミー」に加入するなど、とんとん拍子で階段を駆け上がっていった。
「ウェスタン・オーストラリアン・インスティテュート・オブ・スポーツに入った途端に、さまざまな機会を与えてもらえました。試合にもたくさん出場することができましたし、トレーニングの内容もコーチ陣もより質の高いものになりました。ナショナルチームに行けば、また同じようによりよいコーチ陣、よりよい施設でトレーニングができました」
与えられたチャンスで期待以上の結果を出し続けてきたリチャードソンは、その実力を認められてナショナルチーム入りを果たすと、2020年、20歳の時に出場した世界選手権のチームスプリントで銅メダルを獲得。これは彼にとって主要国際大会で初のメダルだった。
オーストラリア代表として活躍していたリチャードソン(先頭)この記事に関連する写真を見る
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