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競輪・松井宏佑が語るレース前の祈りと「僧侶になりたい」の真意 過酷な4部練、先輩から叱責されたレースも明かす (3ページ目)

  • text by Sportiva

スピードスケートに打ち込んでいた過去を語る松井 photo by Hiroshi Gunki スピードスケートに打ち込んでいた過去を語る松井 photo by Hiroshi Gunki この記事に関連する写真を見る しかし大学4年の時に自らの失態により将来の展望に暗雲が立ち込める。単位不足での留年だった。

「自分が甘かったですね。ずっとスケートに集中していたので、勉強をおろそかにしてしまいました。(実業団チームから)『うちでやらないか』というお誘いもあったのですが、僕としては大学を途中で辞めようとは思っていませんでした。ただスケート部にはいられなかったので、ひとりでトレーニングをしていました」

 大学5年目はたったひとりでの練習となり、「このままではまずいな」という思いをずっと抱えていた。そんな悶々とした日々を過ごしていた時に、偶然SNSで目にしたのが、元競輪選手(上田康雅/2011年引退)が店主を務める居酒屋の存在だった。

「最初に足を運んだ時には競輪をやってみようとは思っていませんでした。僕の出身地の隣町にスピードスケートから競輪に転向した武田豊樹さん(茨城・88期)がいて、競輪ってどんなものなのかなという興味があっただけでした」

 店主とは初対面ながらもその日は朝まで競輪の話で盛り上がった。すぐに転向する気にはなれなかったが、その後も店主に何度か呼ばれて競輪の話をするうちに「やってみよう」と決意。大学卒業後から練習をやり始めた。するとすぐに好成績を出し始める。

「スピードスケートのフォームと競輪のフォームは似ていましたし、高速で400mのトラックを左に回るのも同じで、それが生きました」

 日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)への入学に必要な合格基準タイムも難なく出すことができ、「練習は朝6時半から夕方まであって本当にきつかったんですが、毎日ワクワクしていた」という。

 日本競輪学校には一発で合格。学校では、世界で活躍できる選手の育成を目的とした「HPD教場」にも選ばれて鍛錬を積み、在校成績3位で卒業した。

 そして2018年7月、25歳の時に競輪選手としてスタートを切る。「デビュー戦はめちゃくちゃ緊張した」というが、その後は破竹の勢いで勝ち続け、デビューからわずか137日でS級2班へ特別昇級。この記録は当時史上3番目の早さだった。

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