【平成の名力士列伝:若荒雄】ひたむきさと愚直な相撲で見る者の心に訴えかけた15年半の土俵人生 (2ページ目)
【「素質以上」を引き出させた相撲へのひたむきさ】
現役時代に最も脚光を浴びたのは、前頭9枚目で迎えた同年11月場所だった。もろ手突きで相手の出足を止めると突っ張って絶妙なタイミングで引くという得意な形がこの場所は冴え渡り、相手もわかっていながら食ってしまう"必勝パターン"にまでなっていた。10日目の栃煌山戦は引いて相手のバランスを崩すと押し出して平幕第1号の勝ち越し。勝ちっぱなしの横綱・白鵬を追いかけ、優勝戦線にも食らいついた。
千秋楽の碧山戦は勝てば敢闘賞の条件がつき、引き落として12勝目。生涯唯一の三賞を受賞すると「獲りたいと思っていたけど、自分は技術、才能、素質のない、その日の相撲に勝ったり負けたりの力士なんで、ちょっとびっくりです」と感慨深げに語った。12勝のうち、引き落としと叩き込みが7番と半数以上を占めたが、若荒雄の相撲は常に全力を出しきる、正々堂々の敢闘精神にあふれるものだった。
翌24年1月場所は番付運にも恵まれ、一気に新小結に昇進。誰が相手であろうと持ち前の"全力相撲"は変わらなかったが、5勝10敗に終わり、1場所で三役の座を明け渡すと、その後の番付はじり貧。同年11月場所を最後に幕内から陥落すると返り咲くことなく、十両暮らしが続いた。
肩や腰、踵など、全身ボロボロになりながらも、そんな様子はいっさい見せずに土俵を務めたが、平成26(2014)年7月場所はついに幕下に転落。負け越せば引退を覚悟して臨んだこの場所は、3勝3敗で迎えた最後の相撲で十両・栃飛龍との入れ替え戦を制して勝ち越し。十両復帰を決めたこの一番を現役生活で最も思い出に残る一番に選んだのも、真摯に相撲に打ち込んできたこの男らしい。
関取に返り咲いたものの、体はすでにボロボロで得意の引き技も決まらなくなっていた。この場所も幕下に陥落する成績なら土俵を去ると心に決め、背水の陣で臨み、5勝8敗となったところで引退を表明。「自分の素質以上のものを出させてもらえて、悔いのない現役生活だったと思っています」と濃密な力士人生を締めくくった。
「多くの攻め手や機敏な反射神経があるわけでもなく、引き技が多かったけど、よく小結まで上がった。本人の努力と周りの支えがあって掴んだ三役だった」
滅多に弟子のことを褒めなかった師匠(元関脇・益荒雄)の、この労いの言葉こそ、若荒雄という力士の生きざまを端的に表わしていた。
【Profile】
若荒雄匡也(わかこうゆう・まさや)/昭和59(1984)年2月24日生まれ、千葉県船橋市出身/本名:八木ヶ谷匡也/所属:阿武松部屋/しこ名履歴:八木ヶ谷→若荒雄/初土俵:平成11(1999)年3月場所/引退場所:平成26(2014)年9月場所/最高位:小結
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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