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競輪・郡司浩平「もう親子じゃない」の言葉で決意し競輪界へ S級S班からの陥落&再昇格で芽生えた新境地も語る (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro

「S級に思ったより早く上がれましたが、そこで壁を感じました。最初の2~3カ月は自分の力を出させてもらえず、決勝にもほとんど進めませんでした。脚力だけでは勝てず、駆け引きなどを磨いていかないと上では通用しないと痛感しました。そこで勝てるようになってからもなかなか、"自分はいける"という感覚は持てなかったですね。

 初めてのグランプリはよく覚えています。コロナ禍前だったこともあり、お客さんの入り方もすごく、レース前にバンクに入った瞬間の観客席の景色がこれまでと違いました。武者震いのような自分のなかにない感情が湧いてきましたし、走り終わってからも"またここで戦いたい"と強く思いました」

 このグランプリの光景は強烈に心に刻み込まれたと郡司は振り返る。

安定して高い結果を残し続ける郡司 photo by Gunki Hiroshi安定して高い結果を残し続ける郡司 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る

【S級S班降格がもたらしたもの】

 2019年に初めてグランプリに出場した郡司。2020年は2000人を超える競輪選手のトップのなかのトップである9人のみが所属する最上位クラス、S級S班での戦いとなった。

「もちろん喜びはありましたが、"自分でよかったのかな"という思いのほうが強かったです。受けて立つ立場になりましたが、自分としては常に必死でした。もちろん、またグランプリに出てさらに上を目指そうと思って頑張っていましたが、それ以上に、ここから落ちてはいけない、という気持ちのほうが大きく、消極的に過ごしていたと思います」

 そこから4年間、S級S班の地位を守り続けるも、2023年は奮わず、その座から陥落。2024年はS級1班として戦うことになる。だが本人は「逆にスッキリしました。また新たな気持ちで上を目指せるというスイッチが入りました」と前向きに受け止めた。それを示すかのように2024年最初のGIである全日本選抜競輪で優勝を果たし、S級S班への再昇格が決まった。

「落ちて最初のGIで勝てたときには、さすがに出来すぎだと思いましたが、気持ちを結果として出せてよかったですし、本当にうれしかったです。一度、落ちたことで今は堂々と受けて立てる心境になりましたし、以前とは違う気持ちです。もう守っている感覚はありませんし、新たな気持ちで上を目指せています」

 一度、トップカテゴリーから降りたことで、精神的な変化を手にできたと郡司は考えている。

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