キャリア1年半で日本一になったフェンシング尾﨑世梨が、文武両道を実践した学生時代を振り返る (3ページ目)
【間の時間で勉強】
――中学受験をして中高一貫校に入りましたが、フェンシングはいつから始めたのでしょうか。
中学でも空手を続けていましたが、周りがみんな部活動に入っていて、自分も何かやりたいなと思って、フェンシング部を見つけました。まだ当時は東京五輪が決まる前で、空手はオリンピック種目ではなかったので、オリンピック競技というものに興味があってフェンシングを始めました。
――そして中学2年のときに全国サーブル・チャレンジカップのカデ(13歳以上17歳未満)のカテゴリーで優勝しています。約1年半の練習でいきなり日本一になったわけですが、短期間で何かつかんだものがあったんですか。
実は、中学1年生のときにも出場していて、よくわからないまま試合をしてビリだったんですよ。だから2年生のときも正直、本気で優勝を目指していたわけではなかったんですが、試合中に「これは、有効につかえる」という技を見つけて。頭にきた剣を止めて、返す技なんですけど、まだできないなりにそれを多用したら優勝していました。
――3年のときにも同じ大会で優勝していますが、それはちゃんと優勝を狙って獲ったのでしょうか。
はい。3年のときにはしっかりと優勝を目指しました。カデとジュニア(17歳以上20歳未満)のカテゴリーで優勝しました。獲れるタイトルは全部獲ったという感じでしたね。
空手で養った対人感覚を生かしフェンシングでも才能が開花 写真左が尾﨑 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る
――勉強はどんな意識で考えていましたか。
中学1年のときは空手とフェンシングをやっていて、夜遅くまで忙しい毎日でした。受験して入ったので、周りは勉強ができる人たちが多かったこともあって、中学のときも間の時間を見つけて、やるべき勉強をちゃんとやる感じでしたね。ただ全国優勝したことで海外の試合に出場する機会をもらえたんですが、勉強で遅れをとってしまうことがでてきて大変な面もありました。
【Profile】
尾﨑世梨(おざき・せり)
2002年9月22日生まれ、北海道出身。中学1年からフェンシングを始め、中学2・3年時に全国優勝を経験。将来性を見込まれ代表合宿や海外遠征に参加するようになり、各大会で好成績を残す。高校2年時に全国高校総体2位となり、3年時はジュニアオリンピックカップで日本一に。大学進学後の2022年には世界選手権の女子サーブル団体で銅メダル獲得に貢献。2024年のパリ五輪で女子サーブル団体に出場し銅メダルを獲得した。2025年1月のワールドカップ女子サーブル団体では日本サーブル史上初の金メダルを獲得するなど、各種大会で結果を残している。
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