キャリア1年半で日本一になったフェンシング尾﨑世梨が、文武両道を実践した学生時代を振り返る (2ページ目)
銅メダル獲得を喜び合う尾﨑(右)と江村美咲(左) photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る
【スポーツに勉強に多忙な小学生時代】
――出身は北海道で、小学校時代は空手とチアダンスに励んでいたということですが、どのような理由で始めたのでしょうか。
空手は兄が小さい頃からやっていて、親がその送り迎えで道場に行っていたので、それに自分もついて行っていました。その流れで空手をやりたいなと思って4歳から始めました。そこから中学2年くらいまで続けていました。チアダンスをやり始めたきっかけは鮮明に覚えていないんですが、友達と一緒にやりたいとか、そんな感じだったと思います。小学校の6年間、やっていました。
――空手は北海道大会で優勝しているそうですね。
はい。空手は一番力を入れていて、黒帯(初段)までいきました。チアダンスも全国大会まで行った経験があって、どちらも割と本気でやっていました。今考えたら、忙しい小学生だったなと思います。その当時は、そんな自覚はなかったんですけど。
――小学生時代はどのようなスケジュールでスポーツをしていたんですか。
小学校から帰ってきたら、週4日くらいは空手に行っていたように思います。空手は好きなときに行けるようなところでした。土日は基本的にチアダンスの練習で、大会前になると午前と午後、みっちり練習をしていました。平日も金曜日の夜にチアの練習をしていたので、基本的に毎日、空手かチアをやっていましたね。
――しっかりと時間管理をしないとできないことかと思いますが、小学生時代、勉強はどのように考えていましたか。
学校から帰ってきたらまずは宿題ややるべきことを終わらせてから、空手の道場とかチアダンスの練習場に向かうという感じだったと思います。親からはスポーツを頑張ることはいいけど、勉強も時間をうまく使ってやるようにと言われていました。それから将来のためにと、公文にも行きましたし、中学受験をしたので、塾にも通わせてもらいました。成績は普通か上のほうだったと思います。
――空手、チアダンス、公文、塾とかなり多忙な毎日ですね。
小学校のころは疲労という感覚がわからなくて、休みがない、という考えにはなりませんでした。どちらかというとタフなほうだったかもしれません。すべて自分が選んでやっていたことで、とくに空手とチアは大好きだったので、それをするために時間をうまく使っていて、"やらないといけないことは、やらないといけない"と思っていました。
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