杉本和陽六段が振り返る藤井聡太棋聖との初タイトル戦 師匠の形見を羽織って挑み、「一番好きな瞬間」を体感した (5ページ目)
対局は、先手の杉本六段が得意の三間飛車を志向。2九玉型のミレニアム対藤井棋聖の居飛車穴熊という対抗形の戦いに。杉本六段自身も「中盤までは互角ぐらいの勝負ができていた、と信じたい」と振り返ったように、その後は一進一退の攻防が続き、大激戦に発展した。
「藤井棋聖は『歩』の使い方が本当に上手で、駒が使いづらい状況が生まれてしまった」
杉本六段は玉頭戦に持ち込むと、終盤の追い込みに定評のある藤井棋聖も攻勢に出る。
「『将棋界で最も堅い』と言われている藤井さんの穴熊を崩さなければならない対局は、本当に大変でした。ですが、終盤ギリギリの攻防は、私が将棋を指していることを最も実感できる局面でもありますし、一番好きな瞬間かもしれません」
手応えをそう語った杉本六段だが、対局の終盤で藤井棋聖に一気に畳みかけられて力及ばず。「『振り飛車』に対抗する形の将棋の面白さが出た」という対局で、勝利を掴むことはできなかった。
不利とされる後手で挑んだ第2局(6月18日・兵庫県洲本市 ホテルニューアワジ)は「チャンスらしいチャンスを作れず」に苦杯を舐め、後のない状況で6月30日の第3局に臨んだ。
「タイトル戦独特の白熱した終盤の競り合いを楽しんでいただけたらうれしい」と意気込んだ対局では、序盤から中飛車で勝負に出るも、両者の睨み合いが続く展開に。杉本六段は終盤まで藤井棋聖に食い下がったが、藤井棋聖が84手目に出した△2七銀で投了という結果に。杉本六段は「終盤の勝負どころで決断しきれなかった」と悔やんだ。
「はっきりとした課題が見えた。今後の棋士人生に生かしていきたい」
師匠の米長永世棋聖が、初タイトルを手にしたのは30歳の時。1973年の棋聖戦だった。かつて「遅咲き」と呼ばれた師匠の姿を追うように、飛躍を遂げられるか。杉本六段の新たな挑戦が始まる。
(後編:【将棋】米長邦雄永世棋聖の「最後の弟子」杉本和陽六段が語る、勝負に厳しかった師匠から受け継いだもの>>)
●杉本和陽(すぎもと・かずお)
1991年9月1日生まれ、東京都出身。米長邦雄永世棋聖門下。2003年9月に奨励会入会。2017年4月、年齢制限ギリギリの25歳で棋士に。棋風は終盤巧者で、劣勢になっても粘り強く、師匠譲りの"泥沼流"とも言われている。
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