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杉本和陽六段が振り返る藤井聡太棋聖との初タイトル戦 師匠の形見を羽織って挑み、「一番好きな瞬間」を体感した (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【「東大合格と遜色ないレベル」の三段リーグで苦戦】

 そして、都内の中高一貫校に通いながら奨励会にも通い、高校在学中の17歳の時に三段に昇格を果たす。まさに順風満帆。杉本少年の眼前には明るい未来が広がっているように思えた。

「大学受験に挑む同級生を傍目に、私は順調に三段リーグを勝ち上がり、18歳で四段に昇格するつもりでいました。その後も棋士として華々しく活躍し、多くの名声と収入を得る――そんなバラ色の未来を思い描いていましたが......」

 当時の三段リーグでは、現在のA級棋士である佐々木勇気八段、増田康宏八段らとの熾烈な戦いを強いられた。年に2度開催される三段リーグは、18局の総当たり戦で行なわれる。成績の上位2人が四段に昇格することを認められ、棋士としてのキャリアを歩み始めることとなるが、その難易度の高さは、大学受験の最高峰に位置する東京大学合格に例えられることもある。

 杉本六段の師匠である米長永世棋聖も、生前に「私の3人の兄たちは頭が悪いから東大に行った。私は頭が良いから将棋の棋士になった」と語り、大いに話題を呼んだ。

「棋士と東大、両者は異なるジャンルのものですし、単純な比較はできません。ただ、わずかな差で人生が変わってしまう三段リーグの厳しさを考えると、師匠の言葉はあながち間違っていないのかなという気はしますし、相応に壮絶な場所だと思います」

 当初のプランでは、三段リーグを颯爽と勝ち上がり、プロ棋士として活躍するつもりだったそうだが、わずかに昇格に及ばずに涙を飲むシーズンが続いた。

 苦戦が続くなかで、杉本六段は飛車を定位置の右翼に残す『居飛車』から、左翼に展開させる『振り飛車』に戦法を変更。「野球で言うと、右打者から左打者に転向するくらいの違いはある」とのことだが、職人気質で研究熱心な杉本の性格に馴染み、実力を高めていった。

 しかし2012年には「昇格を果たせぬ弟子を気にかけていた」という、師匠の米長永世棋聖が永眠。その後も夢を諦めきれずに挑み続けた戦いに終止符が打たれたのは、25歳の時。三段リーグの年齢制限を迎える満26歳の誕生日が迫る2017年3月4日、ついに四段への昇段を決めた。

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