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佐竹雅昭が振り返る運命の出会い 公園で声をかけてきた極真の男と「ノリが軽い」石井館長 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【伝説の空手家との組手で入門を決意】

 場所は、現在と同じ。大阪府大阪市北区、JR天満駅前にある正道会館本部道場だった。

「駅前の立地がいい場所で、デカデカと『正道空手』という看板を掲げていたので、『思ったよりもマトモな道場なのかな?』と。それで道場のドアを開けると、『君たち、見学かい?』とノリが軽い男性が笑顔で声をかけてきたんです」

 その笑顔の男性は、正道会館を創始した石井和義館長だった。

「重苦しい極真の道場とは真逆で、その笑顔を見て『何だ、この軽い道場は!』とびっくりしましたよ(笑)。でも、石井館長から『君いいね。体大きいね』とおだてられて、気づいたら見学のはずなのに組手をやっていました。その相手が、めちゃくちゃうまかったんですよ」

 その相手は中山猛夫。中山は最初、極真会館芦原道場に所属しており、空手を初めて1年も満たない1977年の極真全日本選手権で準優勝した伝説の空手家だ。1980年に芦原道場を脱会し、石井館長が正道会館を設立した時に行動を共にし、師範を務めていた。

「『この人、極真のすごい人だ!』と感動して、中山師範に教えていただけるなら入門しないと、と思ってすぐに正道会館に入門しました」

 紆余曲折を経て、17歳で入門した正道会館。そこで佐竹は、いきなり衝撃を受けることになる。

(第3回:白帯だった佐竹雅昭が、伝説の空手家に肋骨を折られ「本物の蹴りだ!」と興奮 その背中を追いかけて日本一に上り詰めた>>)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

【写真】女優・ラウンドガール・格闘家の「三刀流」 宮原華音フォトギャラリー

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