【平成の名力士列伝:千代大海】昭和的な武勇伝そのままに平成の土俵でツッパリ続けた名大関
突っ張りを武器に番付を上げ、大関に長く在位した千代大海 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝27:千代大海
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、数々の劇的なエピソードを土俵に残し続け、大関として史上最長在位を誇った千代大海を紹介する。
【「大分の龍二」から角界入りへ】
昭和の相撲界は、「地元で負け知らず」のはみ出し者が、全国の力自慢たちがひしめくなかで己の限界を知り、挫折を味わいながらも乗り越え、一人前の力士として成長していく場でもあった。平成の相撲界でそんな伝統を受け継ぎ、ドラマチックなエピソードの数々に彩られ、強烈な輝きを放ったのが、「ツッパリ大関」千代大海だ。
人呼んで「大分の龍二」。中学時代、柔道で九州大会優勝、空手でも九州大会3位に入るなどの抜群の格闘センスは社会のルールのなかに納まらず、10人以上の高校生をたったひとりで相手にしてたたきのめすなどの武勇伝を、数々残した。そんな「ツッパリ」は九州で一、二を争う暴走族のリーダーとしてその名を轟かせ、何度も警察の厄介になった。
中学卒業後、鳶職に就いたが、女手ひとつで育ててくれた母の「力士になってほしい」との思いを知り、親孝行のために大相撲入りを決意。「どうせなら、いちばん強い人のところに」と、元横綱・千代の富士の九重部屋を訪れ、初めて会った瞬間、一時代を築いた「ウルフ」のオーラに圧倒された。「この人にはかなわない」と思い知り、金髪リーゼントで剃り込みの入った髪型を一喝されると、すぐさま丸刈りになって出直して入門を許され、平成4(1992)年11月場所で初土俵を踏む。初めて番付についた平成5(1993)年1月場所でいきなり序ノ口優勝するなど順調に出世し、平成9(1997)年9月場所、21歳で新入幕を果たした。
取り口は「ツッパリ(突っ張り)」一本。師匠の指導で入門直後から迷いなく磨き続けた突っ張りには、重くて速い、唯一無二の破壊力が備わり、猛威を振るった。なかでも印象的なのが、新関脇の平成10(1998)年7月場所9日目の前頭2枚目・武双山との一番だ。
激しい突っ張り合いから、いつしか互いに足を止め、相手の顔面目掛けて強烈な張り手を繰り出し合う、ボクシングのような攻防を展開。最後は千代大海が敗れたものの、激しい突っ張りが対戦相手の闘志にも火を着けた一番として、今も相撲ファンの語り草になっている。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。