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173㎝・9頭身グラドル 斎藤恭代の「超絶ボディ」のルーツ 体操にささげた青春や現在のトレーニングを語る (2ページ目)

  • 武松佑季●取材・文 text by Takematsu Yuki
  • 佐藤容平●撮影 photo by Sato Yohei

――そうだったんですね。中学は強豪校だったんですか?

 まったくです。他の中学は小さい頃から体操クラブに入っているような子ばかりなのに、私の学校は私も含めてほとんどが初心者でした。

 なので、大会に出れば他校が大技を決めているなか、私の中学はでんぐり返し(笑)。会場では笑われるし、ぶっちぎりの最下位だしで、本当に悔しかったです。それからは体操漬けの毎日で、2年生の夏から部長としてチームをまとめて、最後の大会では県大会で優勝できるまでになりました。

――では、高校でも期待値は高かったでしょうね。

 栃木ではそういうストーリーもあって、斎藤恭代という名前は地元の体操界ではある程度知られていましたが、高校は全国から集まったすごい子ばかり。またいちばん下からのスタート、という感じでした。

――高校での練習は厳しかった?

 何度辞めようと思ったかわからない(笑)。顧問の先生に顔を叩かれてケガする子もいるくらい超スパルタで......。

――今なら社会問題ですね......。

 もちろん当時も問題になり、顧問の先生がいなくなってしまって、私たちの代で廃部になりました。

 最後の大会では、団体戦の最終種目の床で大技をやろうとしたところで着地に失敗。左膝の前十字靭帯を切ってしまい......。

――選手生命にかかわる大ケガ。

 でも、自分の体よりも、私のケガのせいでチームが次の大会に行けなくなった、メンバーの未来を奪ってしまったことが一番辛かったです。最悪の終わり方でした。

――しかし、その経歴が現在の美ボディにつながっているのでは?

 いえ、女子体操選手は肩の筋肉が発達するので、私の体操部は全員"肩神"と呼ばれているくらいでした(笑)。

 ふくらはぎもモッコリで、シルエットは逆三角形になるから、いわゆる美しい女性の体形とはちょっと違う体つきになりますよね。田中理恵選手は女性的にもとてもキレイな体をされていましたが。

 私は、ケガをして筋肉がゴッソリ落ちてしまいましたが、体操経験者の体形はすぐにわかります。

――では、ボディメイクに目覚めたのはいつ?

 今年の6月に、フィットネス雑誌「Woman's SHAPE」さんの「斎藤恭代のコンテスト優勝への道」という、ベストボディ・ジャパンに挑戦する企画にオファーをいただいてからです。

――たった5カ月前とは驚きです。

 それ以前は、「RYT500」というヨガインストラクターのライセンスを持っていたので、ヨガを自分でやったり教えたりするなかで、体形維持をしていました。

――ヨガで培った柔軟性がボディメイクの下地になっている?

 勘違いされがちなのですが、ヨガをやることで体がとても柔らかくなる効果はあまり期待できません。常に呼吸法を意識しながらポーズを取っていくので、自律神経を整えることができます。

 あとは精神面。ヨガ資格の取得を目指していた21歳の頃は、上京したてで仕事もなく、オーディションを受けては落ち続ける、自信を失う日々でした。そのなかで、"すでに自分は足りている"、"求めすぎずにやれることをやる"と考える「サントーシャ」(足るを知る)という、ヨガの哲学に触れられたことは大きかったです。

 それがあるから、今も精神的にがんばれているんだと思います。そういったヨガの考え方には、何度も助けられました。

――知りませんでした!

 ただ、ヨガでインナーマッスルが鍛えられるのは事実だと思います。「ブリクシャーサナ」「ヴィーラバドラーサナ」といったポーズでは体幹も鍛えられますし、骨盤のズレの矯正にもなる。そういう意味では、女性のしなやかな体づくりにヨガは向いているのかもしれません。

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