【平成の名力士列伝:隆乃若】眠れる才能を開花させるも訪れたまさかの悲運と多才な人間性
連載・平成の名力士列伝44:隆乃若
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大器の片鱗を見せながら悲運の相撲人生を歩んだ隆乃若を紹介する。
【眠れる才能が徐々に開花】
何も防具を身につけず、生身の体と体が激しくぶつかり合う相撲はケガがつきものであり、まさに"一寸先は闇"の世界だ。長身で均整の取れた体つきだった隆乃若も大関以上の素質がありながら、たった一日で相撲人生が暗転したと言っていいだろう。
長崎県平戸市生月町の出身で、小学校時代から上背があり、中学時代はバスケットボールに打ち込んだ。身長は中学3年間だけで20センチも伸び、卒業時には187センチになっていた。角界入りのきっかけは中3の時に地元の神社の奉納相撲大会に参加したことだった。小学生の時に空手で体を鍛えていたが、相撲は未経験ながら他校の相撲部員を寄せつけず、好成績を収めたことが知人を通じて鳴戸親方(元横綱・隆の里)の耳に入り、さっそくスカウトを受けることになった。
すでにバスケットボールでの特待生として高校入学の話があったが、親方の熱心な誘いにほだされ、中学卒業と同時に平成4年三月場所、初土俵を踏んだ。同じ鳴戸部屋の同期にはのちの関脇・若の里(現・西岩親方)、幕内の隆の鶴(現・田子ノ浦親方)がいた。
長身だが細身の体、入門前から腰痛に苦しみ、出世は若の里の後塵を拝し、新入幕も1年半遅れの平成11(1999)年11月場所。入門から7年半を要したが、入幕2場所目の平成12(2000)年1月場所では10勝5敗で敢闘賞を受賞。その1年後には新小結に昇進するなど、大器は眠れる才能を徐々に開花させていった。
三役の座は1場所で明け渡したが、2場所後の平成13(2001)年5月場所3日目には横綱・武蔵丸の猛攻を土俵際、左に回り込みながら何とか残すと叩き込んで最初で最後の金星を獲得。その後、肋骨骨折のケガのため、平幕下位に番付を落とすが、平成14(2002)年3月場所は12日目に10勝目を挙げ、同じ2敗の大関・魁皇とともに1敗で単独トップの武蔵丸を追走。「そんなことは全然考えていません。自分はまだ優勝する力はありませんから」と控えめに語るも優勝戦線に名を連ねる活躍で11勝を挙げ、2年ぶりの三賞となる2度目の敢闘賞を受賞した。
復活の狼煙を上げると同年11月場所には11場所ぶりに小結に返り咲きを果たす。
その11月場所、2日目は立ち合い変化からの素首落としで千代大海を仕留めると、翌3日目の栃東戦は土俵際での逆転の上手投げ。さらに8日目は過去11戦全敗の武双山を突き出して3大関を撃破。同じ九州、準ご当所・福岡の場所で11勝をマークして3度目の敢闘賞を受賞し「場所前は思ってもいなかった数字です。三賞よりも三役で勝ち越すことがこの1、2年の目標だった。三役で勝てる力をつけたいと稽古してきました」と切れ長の目をした"イケメン"の表情が綻んだ。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。