【平成の名力士列伝:若の里】気力は最後まで衰えず−−体力の限り土俵を務め続けた生粋の「お相撲さん」 (2ページ目)
【39歳の引退まで気力は衰えず】
左ヒザの状態は相変わらずで、2場所後にさらに悪化させたことで手術に踏みきった。3場所連続休場で十両への陥落を余儀なくされたが、再入幕の平成12(2000)年9月場所で11勝をマークし、敢闘賞を受賞するとこの場所から3場所連続三賞受賞で新小結、新関脇と番付を駆け上がっていく。
平成14(2002)年1月場所で小結に返り咲くと平成17(2005)年1月場所まで史上1位となる19場所連続で三役に在位。それだけ高いレベルで実力が安定していた証左でもあったが、この間に関脇で2場所連続2ケタ勝ち星を2回マークし、大関取りにリーチを懸けたが、いずれも及ばなかった。
両肩まわりはポパイのように筋肉が盛り上がった固太りの体格で、左四つに組み止めると右上手を強烈に引きつけたパワー全開の攻めが持ち味で、対白鵬戦は初顔から6連勝。その後は11連敗したが、のちの大横綱の前に当初は大きな壁として立ちはだかっていた。
力士生活晩年は度重なるケガに悩まされ、体にメスを入れること9回。ボロボロの体でも土俵に上がり続けたのは「子どものころから力士になりたくて、好きでこの世界に入ったので、いつまでも力士でいたい」という熱い思いがあったからだ。
三役の座を明け渡して以降は平幕上位の地位を長くキープしていたが、それも徐々に難しくなっていく。平成23(2011)年11月場所前に師匠が急死したことで「引退して部屋を継承すべき」と周囲から声が上がったが、悩みに悩んだ末、どうしても首を縦に振ることはできなかった。
それでも気持ちが萎えかけたことが一度だけあった。平成25(2013)年11月場所は幕内から陥落したが、休場によるものではない十両落ちは、長い相撲人生でこの時が初めてだった。三役を長く務めた自分のような力士は、十両で相撲を取るべきではないのではないか。葛藤していると元力士の知人に「十両に落ちても相撲を続けてほしい」と懇願された。この世界に入ったのならば、誰しもが「関取になって化粧まわしを締めて土俵入りがしたい」と憧れるものだが、大半は夢を果たせずに角界を去っていく。
「十両に落ちたら相撲を取らないなんて、夢が叶わなかった人たちに失礼なんじゃないかと。入門した時の気持ちを思い出して、十両に落ちても堂々と取るべきじゃないのか」
十両でもやがて番付は徐々にじり貧となり、平成27(2015)年7月場所は十両11枚目で4勝11敗と大きく負け越し、幕下への陥落が確実になり39歳で引退を決意。体力の限界を感じて土俵を去ったが、気力は最後まで衰えることはなかった。
【Profile】若の里忍(わかのさと・しのぶ)/昭和51(1976)年7月10日生まれ、青森県弘前市出身/本名:古川忍/しこ名履歴:古川→若の里/所属:鳴門部屋→田子ノ浦部屋/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成27 (2015)年9月場所/最高位:関脇
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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