【平成の名力士列伝:武双山】超速出世を果たした「平成の怪物」 貫いた真っ向勝負の相撲道
角界入りから瞬く間に出世を果たした武双山 photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝13:武双山
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、最近の超速出世を平成時代に体現していた「平成の怪物」・武双山を紹介する。
【あっという間に初金星に新関脇】
このところ、大の里や尊富士など、出世の早さに髪の毛の伸びが追いつかず、関取の象徴である大銀杏でなくチョンマゲやザンバラ髪のまま活躍する力士が話題を集めている。平成時代、彼らにも負けない"超速出世"を果たし「平成の怪物」と呼ばれたのが武双山だ。
茨城県相撲連盟理事長の父に小4から相撲の英才教育を施され、水戸農高3年で高校横綱に。専修大3年次にアマ横綱に輝くと、卒業を待たずに中退し、鳴り物入りで武蔵川部屋に入門する。幕下最下位格付け出しで初土俵の平成5(1993)年1月場所、3月場所と、連続7戦全勝優勝で十両昇進という、横綱・輪島以来33年ぶりの快挙を達成。ザンバラ髪で上がった十両を2場所で駆け抜け、ようやく結えたチョンマゲで登場した幕内でも勢いは止まらず、入幕3場所目の平成6(1994)年1月場所、4連覇を狙う横綱・曙に初挑戦で金星。この場所10勝5敗で殊勲賞を獲得し、3月場所は小結を飛び越え、チョンマゲのまま新関脇に昇進した。初めて大銀杏を結った関脇4場所目の9月場所には、優勝まであと一歩の13勝2敗。初土俵から初金星や新関脇までの所要場所数は、いずれも当時の史上最短記録だった。
そうした数字以上に武双山を「平成の怪物」たらしめたのが、正々堂々たる土俵上の姿だ。ドッシリした下半身に支えられた重厚で力強い突き押しを武器に、上位陣にも臆せず、真っ向勝負を挑む。そんな姿には大力士の風格があった。鈍い光を放つ銀色の締め込みも「怪物」の雰囲気をかもし出し、大関、横綱へ駆け上がるのは時間の問題と思われた。
しかし、「怪物」もケガには勝てなかった。初の大関獲りで迎えた平成6年11月場所、場所前に負った左肩亜脱臼の影響で7勝8敗と初の負け越し。平成7(1995)年1月場所は、初日に新横綱・貴乃花の連勝を30で止める殊勲の星を挙げながら、その後、左肩を脱臼して途中休場を余儀なくされた。3月場所で全休後、すぐに復調し、2度目の大関獲りで臨んだ9月場所は、場所中に負った左足親指脱臼の影響で8勝止まり。そこから足踏みが続いた。
実は、左足親指脱臼の影響で重厚な突き押しを支える足の指に力が入らなくなり、苦しんでいたのだという。しかし、当時はそんなことはまったく口にせず、黙々と土俵に上がり続けた。
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プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。