オリンピック3回出場 女子トライアスロンの草分けがタクシーアプリのドライバーになるまで (3ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha

【わからないように着ぐるみのアルバイトに応募】

「正直言って、生まれ変わったみたいでしたね。オリンピックに3回も行けるとも思っていなかったし、そういう野望もなかったです。子どもの頃から夢というものがなかったし、何になりたいということもなかった。それが大人になって夢が見つかって、少しずつのめり込んでいったというのが本音です。けど。トライアスロンに出会っていなかったら、どんな人間になっていたんだろうと思いますね(苦笑)。オリンピックに3回行くことができたのは、常に自分の可能性を追い求めてきた結果でした」

 2012年ロンドン五輪でも4回目の出場を狙ったというが、人生初の骨折という大ケガもあって出場は叶わなかった。しかし、すぐには現役引退せず、国内外のレースで優勝や表彰台に乗る活躍を見せて健在ぶりをアピール。「私のリミッター(限界値)は人よりも高かったかもしれない」と振り返る庭田さんが第一線を退いたのは2016年のことだった。

 現役引退後のセカンドキャリアだが、庭田さんはいろいろ迷い悩みながらも、さまざまな仕事に挑戦したという。

「現役生活から離れたあとのことは何も考えていなかったです。引退後は何をしようかなと悩んで、大会ゲストの話などはありましたけど、トライアスロン以外の世界に行くための、自分には履歴書を書けるほどの経歴がないんですよ。何もないから、興味のあることは何でもやろうと思って動きました」

 オリンピアンであることがわからないようにと、着ぐるみのアルバイトに応募したり(不合格で結局やれなかった)、2トントラックに乗って倉庫から雑貨の配達をして回るアルバイトをやったりもした。古巣の稲毛にあるクラブのヘッドコーチとして、約2年間、多様な業務に従事したし、先輩がトライアスロン普及のために設立した会社で会社員も経験した。しかし、どこかに縛られることを嫌う性格もあって、22年以降は、フリーランスの立場で、トライアスロンコーチをするかたわら、社会勉強としてのアルバイトも続けた。

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