パリ五輪まで1カ月 山口香が考えるオリンピックの今とこれから「スポーツのいいところは、『ああいう世の中だと生きやすい』と思えるところ」 (2ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【オリンピズムの普及啓蒙の価値と意味】

――JOCとIOCの関係で言えば、正直なところJOCは、まるでIOCの上意下達機関のような印象もあります。というのも、東京五輪の際には五輪憲章規則50(政治的プロパガンダの禁止などを定めた項目)の解釈について、選手たちの意思表示をどこまで許すのかという観点からイギリスやアメリカ、オーストラリアなどの各国委員会はIOCに異議を表明して闊達な議論を行なっていたようですが、JOCは唯々諾々とIOCの決定に従っているようにも見えました。

山口:日本はそもそも、権威に弱いですからね。だから何度も言いますけれども、それは日本社会の縮図なんです。スポーツの現場なら弱小チームが優勝候補を倒すジャイアントキリングだって起こりえますが、そこで活躍した人たちが組織に入ってヒエラルキーのなかに組み込まれてしまうと途端におとなしくなってしまう、ということが日本では残念ながら往々にして発生します。だから多分、日本の社会が変わらなければスポーツ組織も変わらないし、若い人たちも社会で活躍できない。

 スポーツのいいところは、「ああいう世の中だと生きやすいだろうな」と思えるところですよね。お互いにファーストネームで呼び合い、一軍やレギュラーの選手はリザーブ選手に敬意をもって接する。つまり、無駄な選手はいないという考え方です。だけど、日本の社会は「上の人たちだけがんばってください」という雰囲気だから、そもそもの発想からして違っています。

――近年ではバレーボールの「監督が怒ってはいけない大会」など、スポーツのトレーニングや競技参加の雰囲気も少しずつ変わりつつあるようですね。

山口:そうやってスポーツが変わっていくことで、じわじわと社会にも影響していく。スポーツが自分たちの姿を見せていくことによって、やがて社会も変わっていけばうれしいですよね。

――スポーツが世の中に与える影響をオリンピックに即して言うのならば、オリンピックムーブメントやオリンピズムの普及啓発、ということなのでしょうね。

山口:そうです。だからオリンピックは、世界のさまざまなスポーツが一堂に会し、世界中の人々を巻き込んで行なうイベントであるところに意味があるんです。

 たとえば今回のパリ五輪では、イスラエルとパレスチナの問題にどう対応するのかということや、あるいは個人資格参加とはいってもロシアの選手が出てきて、ウクライナの選手と同じ競技場に立つ場合もありえるでしょう。オリンピックはそれにどう向き合って対応するのか。予断をもって語ることはできませんが、きっとさまざまな難しい状況に直面すると思います。当事者の選手たちや他国の選手たちはもちろん、見る側の私たちはそれをどう受け止めるのか。今の世界について考えるための、ある意味でとてもいい〈教材〉がそこで示されると思います。

 開会式はセーヌ川というオープンな場所で行なうことが決定していますが、フランスは自国の誇りにかけても安全を徹底して確保し、細心の警備体制を敷くでしょう。その張り詰めた緊張感や重い責任感は、コロナ禍で東京五輪を経験した私たち日本人だからこそ、なにか感じることができるものはあるはずです。そんなふうにパリ五輪が私たちに見せてくれる〈教材〉から感じ取ることができるものを、解説してくれる人が出てくるといいなと思います。

 そして、これからいよいよオリンピックが近づいてくると、誰が選ばれたとか金メダル候補だということに大きな注目が集まり、競技が始まると「メダルをいくつ取った、日本の選手たちは皆がんばった、感動した」というニュースで埋め尽くされるでしょう。

 その一方で、このままだと日本でオリンピックが開催されることは未来永劫ない、とも私は思います。札幌五輪の招致断念を見ればわかるように、世間の人々はオリンピックに対する反感や嫌悪というよりも、「自国ではいらない」と言っているわけです。それって、ある種のオリンピック否定じゃないですか。本当にいいものなら、もっと身近で見たいし経験したいと思うでしょうから。これがたとえば、サッカーやラグビーのワールドカップならどうでしょう? 招致の機運はもっと盛り上がるだろうと思いませんか。だから、こんなにオリンピックが好きな日本人が札幌に「No」と言ったことの意味、つまり、オリンピックムーブメントが充分に広く浸透していないことの重みを、JOC関係者の方々にはしっかりと受け止めていただきたいですね。

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