パリ五輪まで1カ月 山口香の提言「オリンピック精神の普及・啓蒙なくして、世の中のスポーツへの理解は得られない」 (2ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【たとえ建前論や理想論であっても】

――ロシアのウクライナ侵攻やハマスとイスラエルの戦争などに対して、スポーツという立場からどう対応すればいいのかという課題は世界各国に共通して課せられているテーマです。ただ、日本のメディアはいつものように「日本代表がメダルを取りました。何々選手が健闘しました」ということだけで終わってしまうのではないか、という危惧を感じるんです。

山口:そのような危惧も、たしかに理解できますが、私たちはオリンピックの意義を地道に発信し続けて、「オリンピックの価値はそれだけではないですよ」と言い続けていくしかないんですよ。それに、たとえ(意義や価値を)訴えたとしても正解があるわけではないし、そもそも皆がひとつの同じ方向を向くのは健全ではない。ただ、発信することによって3年前の東京のことを思い出したり、オリンピックって何なのだろうと考えてくれる人もいるでしょう。

 つまり、オリンピックやスポーツとは、そういうものなんです。世の中に直接的な大きな影響力を発揮するものではないけれど、スポーツを通じて何かがジワジワと変わっていくことを期待する。世界には先進国、経済大国から発展途上国、紛争がある国などいろいろな状況があるなかで、ひとつのルールで折り合いをつけて、皆が集って交流し競い合いましょう、と。そこから何かが生まれるかもしれないし、そこに世界や社会が目指す未来の姿があるかもしれませんよね。世の中の課題や問題は、国や地域の紛争なども含めてなくならないけれども、スポーツはたとえ建前論や理想論であったとしても何らかのアプローチは可能だということを見せてくれています。その意味で価値があると私は考えているし、それを多くの人に感じてほしいとも思います。

 ただ、そうはいっても、どうしても目の前にある華やかな競い合いや勝負に目を奪われてしまいがちなので、その奥にある深いものまではなかなか見えづらい、という側面もあります。

 だから、メディアや報道の役割はすごく重要だと思います。勝った選手を称えることはもちろん大切だけれども、勝敗や自国選手の応援だけではなく、いろんな視点から世界を見るヒントを示していただければすごくありがたいと思うし、そういう風潮も少しずつ芽生えているのではないかと期待したいです。

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