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「君は何人?」からのナショナルチーム入り ガールズケイリン太田りゆが東京五輪スタンド観戦の悔しさを忘れないための写真とは (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro

「私は生きづらさを感じるくらい、自分の運動能力に自信があったんです。ガールズケイリンを知り、すぐにやってみたいと思いましたし、さかのぼれば、私の幼馴染のお父さんが競輪選手で、『りゆは絶対に競輪に向いている』って子供の頃から言われていました。

 通っていた大学にガールズケイリン一期生の増茂るるこ選手がいて、話を聞けたことも大きかったですし、大学の先生も競輪学校の受験対策に協力してくれました。その時に自転車での回転数やパワーの数値を計ったんですが、それらの数値がすごくよくて、みんながほめてくれました。その言葉を全部真に受けて、その気になってしまいました」

 事実、太田の運動能力は本物だった。2016年春に競輪学校に入ると、その10月、まだ在学中にナショナルチームの日本代表ヘッドコーチ、ブノア・ベトゥとジェイソン・ニブレットに才能を見出される。

「いきなり知らない外国人が来て、『君は何人?』って聞かれたんです。下半身の筋肉のつき方に加え、顔の見た目もあったと思うんですけど(笑)。私たちの年から競輪学校に世界で活躍する選手育成を目的に、ナショナルチーム選手と同様の環境でトレーニングをするハイパフォーマンスディビジョン(HPD)というグループができて、そこに入ることになりました。正直、まったく実感が湧かなかったんですけど、一方でオリンピックという夢が開けるし、あれよあれよという感じで進んでいきましたね」

 初の国際大会は2017年2月、競輪学校卒業前のアジア選手権。その舞台に足を踏み入れた瞬間の光景が、太田の心を自転車競技へと一気に引き込んだ。

「バンクに入った時、国際大会ならではの光景が目の前に広がっていました。各国の国旗が天井から吊り下げられていて、ライトで明るく照らされていたんです。それがカッコよくて、そこに自分が足を踏み入れていることにものすごく感動したんです。胸が本当に高鳴り、ここで戦いたいと強く思いましたね」

 まだ自転車競技を本格的に始めて1年も経っていない頃のことだ。「人生を変えたいと思って、競輪学校に入った」という太田だったが、その人生は短い期間で想像以上の広がりを見せ始めた。
もともと運動能力が高かったという太田。強靭なフィジカルを持つ photo by Noto Sunao(a presto)もともと運動能力が高かったという太田。強靭なフィジカルを持つ photo by Noto Sunao(a presto)この記事に関連する写真を見る

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