時東ぁみ、来年で20年目の芸能生活を語る「デビュー時は『地獄が始まる』と思ってなかった(笑)」 (3ページ目)

  • 石塚 隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi

photo by 本人提供photo by 本人提供この記事に関連する写真を見る── 2005年にメガネがチャームポイントのアイドルとしてデビューしましたが、あの当時はかなり忙しかったんじゃないですか。

「忙しすぎて記憶がないんですよ。スケジュールをこなすだけというか、変な話、笑っていればよし、みたいなところも絶対にあったと思うし。当時を考えれば、今は本当に充実していますね」

── 辞めたいと思うこともありましたか。

「10代の頃は、いつ辞めてもいいと思っていました。ぜんぜん辞めさせてもらえず、ここまで来ちゃいましたけど(笑)。

 一番つらかったのは、実家に住んでいるのに、親が起きる前に家を出て、寝ている時間に帰宅する生活が続いていたことですね。暗い家に帰るのがすごく切なかったのを覚えています」

── 当時はコンプライアンスの定義もありませんでしたからね。

「楽屋でいつも泣いていましたよ(笑)。点滴を打ちながら現場に行き来したことありましたし、できることなら倒れてしまいたいって思うことも一度や二度ではありませんでした(笑)」

── えー、そうだったんですね。

「でもそんな時、一番元気をもらえたのが、ファンのみなさんの前に立つことだったんです。裏では大変だったけど、逆に一番解放される瞬間でしたね」

── なるほど。特に時東さんはグループ活動ではなくソロのタレントだったから、悩みを相談する仲間もいなかった。

「そうなんですけど、私はデビューのきっかけは『ミスマガジン』で、当時6人選ばれたんです。会う機会も多かったのですごく仲がよかったんですよ。当時は『地獄が始まる』と思ってなかったので、集まるとキャッキャッしていましたね(笑)」

── その後、まさか......(笑)。

「はい。でも、ミスマガジンのメンバーは今でも仲がよくて、連絡を取り合いますし、仕事の相談もしたりするんですよ。そうだ、当時はフットサルが流行っていたんですよ」

── 女性アイドルがチームを作って代々木第一体育館で大会をやっていましたね。

「そこにミスマガジンチームで参加していたんですけど、歴代の先輩方も含めたメンバーはもちろん、当時の監督やコーチ、スタッフの方々と現在もつながっていて、いまだに集まったりすることがあるんですよ」

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