80歳現役を目指す石井寛子にとって「37歳はまだ赤ちゃん」 睡眠4時間の理由、知られざる暗闇の2年間を赤裸々に語る

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ガールズケイリン界を引っ張ってきた石井寛子 photo by Hirose Hisayaガールズケイリン界を引っ張ってきた石井寛子 photo by Hirose Hisayaこの記事に関連する写真を見る

【前人未到の記録を持つ石井】

 ガールズケイリンで燦然と輝く大記録を持つスター選手がいる。それが石井寛子(104期/東京)だ。ガールズケイリン最高峰のレース「ガールズグランプリ」にただ一人10年連続出場中で、今年も順調に成績を挙げれば、出場は濃厚だ。また2022年6月にはガールズケイリン史上初の500勝を達成するなど、時代を切り開いてきた選手と言える。

 例年通り、今年も賞金ランキングで上位に位置し、アルテミス賞レースで優勝するなど、順調なシーズンを送っているように見えるが、本人いわく決してラクなシーズンではなかったという。

「今年は本当にケガと体調不良に悩まされてきました。それはファンのみなさんが知らない部分です。ここ10年経験したことがなかったほどの体調不良になってしまって、結果を残せなかったことがありました」

 石井はデビューから11年戦い続けているが、この2023年は「3番目くらいに厳しい1年」と振り返る。今年を含め過去4回困難なシーズンがあったと明かすが、それでも賞金ランキングの上位者が出場できるガールズグランプリに出場し続けられたのは、そのポテンシャルの高さもさることながら、勝利に対する並々ならぬ情熱もあったからだろう。

【かっこいい1着を目指す】

 石井が自転車競技を始めたのは、高校1年のとき。進学した高校に全国大会に出場できるほどの好成績を残す自転車競技部があり、顧問の先生の熱心な誘いもあって入部を決断した。そこで石井は持ち前の身体能力の高さを発揮し、3年時にはJOCジュニアオリンピックカップで銀メダルを獲得するほどの実力をつけた。

 そして明治大学に進学し、自転車競技部に所属しながらナショナルチームのメンバーとしても活躍。30歳までの約12年間、その一員として数々の国際大会に出場した。

 2012年のワールドカップではチームスプリントで2位となり、日本人女子初となる表彰台に立った。同じ時期に、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)でも学び、57戦52勝、在校成績1位と圧倒的な結果を残して卒業。ガールズケイリン2期生として、2013年にデビューも果たした。

 そんな石井にとって、1着へのこだわりは誰よりも強く、「まずは絶対に1着を獲り、そのうえでかっこよく1着を獲ること」を常に目指している。だからこそ、1着を獲れなかったときには人一倍悔しさが込み上げる。

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