ロコ・ソラーレの吉田知那美が明かす北京五輪銀メダルの舞台裏「ダサさを受け入れたことでロコらしく楽しい試合ができた」 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text&photo by Takeda Soichiro

 北京五輪も開幕してみれば、カッコいいことなんてほとんどなくて、劇的に勝つゲームもあれば、自分たちのよさを出すことができずに負けてしまった試合もありました。それでも、強がったり、自分たちの弱さを否定したりせず、「それも私たちなんです。すいません。でも明日は今日よりいい試合をします」と毎日、ニュートラルな状態で戦っていました。

 特にラウンドロビン(総当たりの予選)最終戦で負けてしまい、プレーオフに進出できないと勘違いし、悔しさを言葉にしながら涙を流していたら、ギリギリでプレーオフ進出が決まっていたことを伝えられ、その瞬間からうれし泣きに変わり、腰が砕けている場面は、今でも映像で見返すと「ダサいなあ。めっちゃカッコ悪いなあ」と赤面するくらいです。ですが、そのダサさを受け入れたことで、世界最強を決めるオリンピックで最後までロコらしく、気持ちよく心から楽しい試合ができたのかなと考えている部分もあります。

 あれからもう1年半が経ち、今シーズンから世界的にも、国内でも、大会の成績が次の2026年ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック出場に関わってきます。でも私たちは、五輪シーズンに身をもって学んだように、他者にどう見えているか、何かになりたい、どの試合で勝ちたい、というよりも、場合によっては「ダサくて、弱くて、情けない、そのままのロコ・ソラーレらしくあり続けたい」と思っています。

 強いチーム、カッコいいチームは国内外に本当にたくさんあって、彼らや彼女らとカーリングするのは選手として最大の喜びのひとつです。でも、コピーがオリジナルに勝ることは絶対にありえなくて、強いチームがあっても、憧れの選手がいても、それをコピーしても最高で2位にしかなれない。それは、ここ数年で学んだことです。

 世界一はコピーでは叶えられない大きな目標ですので、"ロコオリジナル"を突き詰めていって、それがたとえ世界一弱そうな姿であっても、その延長線上にオリンピックの舞台があるとうれしい。今はそう思っています。

吉田知那美(よしだ・ちなみ)
1991年7月26日生まれ。北海道北見市出身。幼少の頃からカーリングをはじめ、常呂中学校時代に日本選手権で3位になるなどして脚光を浴びる。2011年、北海道銀行フォルティウス(当時)入り。2014年ソチ五輪に出場し、5位入賞に貢献。その後、2014年6月にロコ ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝という快挙を遂げると、2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。2022年夏に結婚。趣味は料理で特技は食べっぷりと飲みっぷり

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