「EXILEに会えるかも」とガールズケイリンへ 通算500勝達成の山原さくらは大病を乗り越え今、キャリアのピークを迎える (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • 池田清太郎●写真 photo by Ikeda Seitaro

「スプリントで優勝できましたが500mタイムトライアルでは2位だったんです。それがすごく悔しかった。私はそれまで人と競い合うことがなかったので、ここで初めて自分は負けず嫌いなんだと気がつきました」

 この好結果で、一躍、ロンドン五輪の代表選手候補に名前が挙がった山原は、2011年春の高校卒業にあたり、地元企業に就職しつつも、世界の舞台を目指した。最終的にその選考に漏れ、五輪出場の道は閉ざされたが、もう自転車競技への思いは止められなかった。

「オリンピックは自分の力では難しいと気がつきましたが、自転車をやめる気持ちはなかったですね。ナショナルチーム候補として練習している時、ガールズケイリン1期生の選手たちが競輪学校(現日本競輪選手養成所)で練習する姿を近くで見ていたので、私もそこでやってみたいと思いました。それは本当に自然な流れだったと思います」

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【訪れた人生最大の試練】

 2013年5月にデビューし、すぐに初勝利、初優勝。1年目でガールズケイリン最高峰のレースであるガールズグランプリ(4着)の出場も果たした。安定感が持ち味で着実に勝利を積み重ねるだけでなく、2016年には特別レースのひとつ「ガールズケイリンコレクション」でも優勝を飾っている。しかし順風満帆だった山原の前に大きな試練が立ちはだかった。

「2019年11月、ガールズグランプリの出場権を賭けた『ガールズグランプリトライアル』の直前に、ホテルで倒れてしまったんです。その前からずっと体調が悪くて、疲れも取れず、おかしいなと思っていたんですが、私が我慢強くて、我慢しすぎた結果、動けなくなり、救急車を呼ぶことになってしまって」

 病名は卵巣嚢腫茎捻転(らんそうのうしゅけいねんてん)。手術をし、長期入院での療養が必要となり、選手としてのキャリアも一時、中断を余儀なくされた。そこから厳しい復帰への道が待っていたが、山原はここで持ち前の明るさを発揮する。
※卵巣に腫瘍ができ、それが捻れて症状が出る病気

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