「半泣き」だった藤澤五月のスキップデビュー 「なんだこれ?」の連続だった初の欧州で衝撃を受けた、のちのライバルとは (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

 確か青森のカーリングホールでの大会だったのですが、私は過去の試合については本当に忘れてしまうんです。覚えているのは、ブラシに『ドラえもん』のシールを貼って、ピンチの時にそのシールを触りながら「ドラえもん、お願い!」とのび太くんみたいに必死にドラえもんに願掛けをしていたことです。軽くヤバい子ですかね?

 でも実は、2021年に稚内で行なわれた北京五輪日本代表決定戦の時にもブラシにドラえもんのシールを貼って、「あの時のように幸運パワーをもらえますように」と願掛けしていました。

最大のライバルとなる「天才」との出会い

 日本ジュニア選手権で勝って、日本代表として世界ジュニア選手権にも出場しました。開催地はスウェーデンのエステルスンドという街でした。

 生まれて初めてのヨーロッパだったのでわからないことだらけで、水を頼んだつもりなのに炭酸水が出てきたり、初めて出会う食べ物にも戸惑いました。ハムやチーズとかはまだいいんですけど、不思議な匂いのするハーブ的なものが入った硬いパンとか、トナカイの肉とか、魚のオイル漬けも初体験でした。

 家では和食が普通で、私は特に白米が大好きだったので「なんだこれ?」と、驚きの連続でした。

 また、会場でも他国の同世代であるはずの選手がみんな、私たちより背が高くて大人っぽくて、「ジュニアじゃないじゃん!」と思ったり......。試合以外のことばかり覚えてます。試合のことで唯一、覚えているのは勝てなくて悔しかったことです。

 結果はWCF(世界カーリング連盟)の記録によると、3勝6敗で7位。初めての世界での戦いは作戦もショットもなかなか決まらずに、ショックを受けました。

 カーリングを始めて世界ジュニア選手権に出るまでは、「私は上手なんだ!」という根拠のない自信があったのですが、日本代表として世界の舞台に立った時に、そんな自信だけじゃダメなんだということを、悔しさとともに知りました。それは、もっとカーリングで強くなりたいと思える大きなきっかけになってくれたと思います。

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