「半泣き」だった藤澤五月のスキップデビュー 「なんだこれ?」の連続だった初の欧州で衝撃を受けた、のちのライバルとは

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

連載『藤澤五月のスキップライフ』
3投目:スキップデビューと天才との出会い

カーリング女子日本代表のスキップとして目覚ましい活躍を見せているロコ・ソラーレの藤澤五月。彼女の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』の3回目は、スキップとしてデビューした当時を振り返る――。

ロコ・ソラーレの藤澤五月。2月末には日本ミックスダブルス選手権に出場した。photo by (C)JCA IDEロコ・ソラーレの藤澤五月。2月末には日本ミックスダブルス選手権に出場した。photo by (C)JCA IDEこの記事に関連する写真を見るほろ苦いスキップデビュー

 私にとって、初めてのカーリングチーム「ステイゴールドII」では姉がスキップだったのですが、姉が中学3年生になって高校受験を控えた頃に私がスキップになりました。

 人生初のスキップは、今はなくなってしまった河西建設のカーリングホールでの試合でした。相手チームはその河西建設で、古くからカーリング愛に溢れた会社です。

 日本選手権でも何度も優勝しているような強豪で、当時のスキップはのちにチーム青森で活躍したことでも知られている青田しのぶ選手。青田さんは、ラインコールや氷上での立ち振る舞いがとてもカッコよく、私の憧れる"The スキップ"のような方で、圧倒されたのを覚えています。

 その"スキップデビュー戦"ですが案の定、負けてしまいました。

 初めてだったので、どんな作戦をとればいいのか、ショットは何が正解なのか。まったくわからなくて、「お姉ちゃん、どうしたらいいの?」って聞いても、姉もポジションを降ろされて複雑な気持ちがあったのだと思います。「知らない。(五月が)スキップなんだから、自分で考えて」とちょっと冷たく言われて、半泣きで試合をした記憶があります。

 最初は慣れないスキップでしたが、高校生になったくらいから少しずつショットの選び方もわかってきました。姉がほんのちょっと冷たかったのは最初だけで、私の取った幅に対して「このラインもっと曲がるよ」などとアドバイスをくれて、かなり助けてくれました。

 今考えると作戦的にはシンプルなものが多く、ミスをしないほうが勝つみたいなゲームではありましたが、2007年の日本ジュニア選手権で初めて優勝することができました。

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