オリンピックを愛した男、ショーン・ホワイトの軌跡。バトンは平野歩夢に託された

  • 徳原海●文 text by Tokuhara Kai
  • photo by JMPA

 2月11日。ご存じの通り北京オリンピックのスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢が同競技日本人初の金メダルに輝いた。それまでの大会では彼ただひとりしか決めていなかった最高難度の技「フロントサイドトリプルコーク1440」を全てのランで成功させ、また完璧に見えた2回目のランが不可解なジャッジによって低得点に抑えられるもラストランでそれを凌駕する異次元の滑りを披露してくれた。

最後のオリンピックでも存在感を示したショーン・ホワイト最後のオリンピックでも存在感を示したショーン・ホワイト もうひとりの主役は、かねてより今大会での引退を表明していた3度のオリンピック王者であるショーン・ホワイト。ラストランで果敢に挑んだ「キャブダブルコーク1440」の着地に失敗し、35歳で臨んだ自身5度目のオリンピックは表彰台に届かなかったが、それでもヘルメットとゴーグルを外して晴れやかな表情で滑り下りてくるショーンを各国の選手や関係者たちが盛大な拍手で迎えた。

 演技を終えたショーンは目を潤ませ、平昌でも激闘を繰り広げた若きライバルの金メダルが決まるや彼のもとに駆け寄ってハグをしながら祝福。ショーンの時代から"アユムの時代"へ。 まさにスノーボード・ハーフパイプが新たなフェーズに突入したことを物語るシーンとなった。

「プレッシャーや疲れ、緊張が影響したのか、脚が言うことを聞かなかったね。でも自分の滑りを誇りに思う。そしてここにいることを誇りに思う。みんな見てくれてありがとう。スノーボードは私の人生だ。表情台は逃したけれど、いつも自分が得たいものを得られるわけではないから。アユムやスコッティ(・ジェームス)のメダルをとてもうれしく思う」

 大会直後、涙をこらえきれず、それでもショーンらしく笑顔も時折見せながら発せられたそのコメントには、彼のスノーボードとオリンピックへの情熱、そして現役のうちに世代交代を目の当たりにできた喜びなどさまざまな思いが凝縮されているように感じた。

 元々ストリートカルチャーから派生したスノーボードというスポーツにおいては、20代中盤にもなると競技の一線を退き、フリーライディングや映像表現などの道へ進むプロライダーも多い。それに近年は競技全体の若年齢化に加えて技の高難度化もさらに進んでいる。それでもひと回り以上も若い選手たちに囲まれながら"競技者"として高みを目指すことにこだわったショーン。最後までオリンピックを愛し、オリンピックに愛された男の功績を、これまで筆者が直接インタビューした際のエピソードも交えながら振り返っていきたい。

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