原田雅彦、長野五輪で金メダル獲得前にあった大スランプ。フォーム改造も「船木や岡部のようにはならない」 (5ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 ラージヒル団体の当日は、朝から激しい雪が降り、W杯なら延期か中止になるような天候だった。試合に先立つ試技は第2グループが始まってすぐに中止になるほど。それでも試合は小雪になったのをみて、予定より20分遅れで強行された。

 そんななかで日本は、2番目の斎藤が130mの大ジャンプを見せ、トップに立った。残るふたりはラージヒル個人で銅の原田と金の船木。さらに差を広げて優勝を確実すると思われた。

 しかし第3グループの途中から降雪は激しくなって飛距離を伸ばせない状態になった。最後の原田のジャンプ時は、踏み切る助走路の先端も見えない状況で、原田は79.5mに着地。観客席をおおった悲鳴は、4年前のリレハンメル五輪を思い出させた。

 このグループ、前半のロシア選手は時速90.5㎞出ていた助走速度も、原田のひとり前のドイツ選手は88.8㎞に落ち、原田はそれより遅い87.1㎞。降雪が一気にひどくなってきていて、まともに戦える状況ではなかった。それでも競技は続行され、日本の1本目は4位で終わる結果になった。

 即座に2本目が開始されたが、再び降雪が激しくなり8人飛んだところで中断。このまま中止されれば、日本の団体は4位になってしまう危機に追い込まれた。だが、間もなく天候が回復して再び競技が始まると、1番手の岡部が137mを飛んで悪い流れを一気にひっくり返し、斎藤も無難に124mを飛んでその位置を守った。

 原田の2回目は、彼にとっては少しオーバースピード気味のゲート設定だったが、思いきり飛び出すと最後までちゅうちょせずに攻め、岡部と同じ137mを飛んだ。「両足を複雑骨折してもいいから思いきりいく」と決めて挑んだからこそ、実現できたビッグジャンプだった。

 そのジャンプでつけた2位ドイツとの得点差は、飛距離に換算すれば13mほどになる24.5点。最後の船木は余裕を持ち、少し抑え気味の着実なジャンプをして優勝を決めた。

 悪条件のなかで力を出しきり、日本中を沸かせたラージヒル団体の優勝。4年越しの金メダル獲得だったが、最も目立って主役になったのは原田雅彦。それは彼が持つ、天性の運もあったのかもしれない。

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