原田雅彦、長野五輪で金メダル獲得前にあった大スランプ。フォーム改造も「船木や岡部のようにはならない」 (4ページ目)
【ドラマ続きの長野五輪】
追い込まれた原田は2本目、開き直った。ほどよい向かい風のなかで思いきり飛び出すとグングン飛距離を伸ばし、大歓声のなかで130mを大きく超えて着地した。結果が表示されないままで競技は続行される。1本目4位の船木が132.5mを飛んでトップに立ったままで全選手が飛び終わり、電光掲示板には原田の名前はなく、船木、ソイニネン、ビドヘルツルの順番で表示された。
「あまりに飛型が悪すぎて上位に絡んでいないのかと思った。いかんと思ったけれど、自分のスーパージャンプに酔っていたから、これからどんなパフォーマンスをしようかと考えていたんです」
原田はこう振り返る。だが、それからしばらくすると電光掲示板の上から3番目に原田の名前が掲示され、飛距離はジャンプ台記録の136mと判明した。飛距離を正確に判定するビデオ装置は135mまでしか計測できなかったため、結果が出るのが遅れたのだ。
「1回目のジャンプでメダル争いから外れかけたが、ラージヒルは何が起きるかわからないから諦めていたわけではない。2本目は自分をアピールすることだけを考えていた」
追い詰められて開き直り、ケガの恐怖心を振り払ったからこそできたビッグジャンプ。銅メダル獲得で、追い詰められた気持ちからようやく解放された安堵感が、最後は悲鳴のようなつぶやきになったのだ。
だが、原田にはまだドラマが待っていた。
その2日後のラージヒル団体は、日本はW杯の国別総合順位も1位で「金は確実」と言われる状況だった。加えて、この大会最初のノーマルヒル個人は全員が9位以内で、ラージヒル個人は金と銅に加えて岡部は6位と好調を維持。ラージヒルで斎藤は2本目に進めなかったが、彼はW杯でも2位1回、3位2回と安定感のある選手。ラージヒルもあられのような細かい雪が追い風とともに降る悪条件で、彼の前後の選手はすべて飛距離を伸ばせなかった結果だった。
4 / 5