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タカマツペアのリオ五輪金メダルが、バドミントン強国への道を拓いた (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 ふたりのペアは高校2年、3年と連続で全日本総合選手権3位になり、ダブルスでナショナルチーム入り。10年には高橋が先に加入していた日本ユニシスに入った松友は、当初はシングルスも並行してやっていたが、2年目からは高橋とのダブルスに専念することを決めた。

 12年ロンドン五輪は世界ランキング21位、日本勢4番手で出場には届かなかったが、藤井と垣岩の銀メダル獲得を見て、刺激を受け意識が一気に変わったという。

 松友は「すごいと思った反面、自分たちも藤井さんと垣岩さんのペアといい勝負ができるようになっていたので悔しかった」と語り、高橋は「メダルのチャンスがあると教えられ、私たちも次は絶対に出たいという思いが明確になった」と述べた。

 12年9月のインドネシアオープングランプリゴールドで優勝すると、10月のデンマークオープンではロンドン五輪優勝の田卿・趙蕓蕾組に勝って準優勝するなど、世界ランキングを10位に上げた。

 さらに14年5月、女子国別対抗戦のユーバー杯で、第1ダブルスとして6試合全勝でチーム準優勝に貢献。これで自信をつけると、その後も着実に結果を出し続けて10月には世界ランキングを1位とし、15年5月からのリオ五輪出場権を争う戦いにはランキング1位で臨んだ。その後、12月には一時4位まで落としたが、翌16年3月には再び1位に上げて第1シードでリオに挑むことになった。

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