東京五輪女子体操金メダリスト、チャスラフスカさんに聞く (2ページ目)

  • 長田渚左●インタビュー interview by Osada Nagisa 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

――1964年の東京五輪、日本人のことで一番覚えていることは?

「1つを選ぶのは難しいです(笑)」

――じゃあ3つ。

「まずオープニングセレモニーがすばらしかった。広島出身の坂井(義則)さんが聖火ランナーとして入ってきました。もちろんメダル表彰式もよく覚えています。日本らしいセレモニーで、着物を着た女性たちがいて、芸者さんみたいだった。あとは日本の男子が団体で優勝したときに日本の国歌を聞き、とても幸せでした。私は日本の音楽が好きなんです。チェコ日本友好協会として、東日本大震災の被災地の子どもたちを招待したときは、チェコの子どもたちが日本の歌を歌いました。練習して、とてもうまく歌えるようになったんです。また64年にはたくさんのプレゼントをもらいました。日本刀を受け取ったこともよく思い出します」

――その日本刀を送った大塚隆三さんにまつわることなど、『桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』には、ベラさんご自身も知らないことが書いてあると思います。読んでいただいて、いかがでしたか。

「吉田夏さん(日本で初めての国際女性審判員。1956年メルボルン五輪から5大会連続で国際審判員として活躍した)は今、何歳ですか?」

――101歳です。とてもお元気です。

「すばらしい」

――私は吉田さんの存在を知らなかったのですが、チェコに行ってベラさんに教えていただき、探したんです。

「シャーロック・ホームズみたい(笑)。よく探しましたね。本の中では私について、私の知っている人たちが語っている。自分のことなのにものすごく興味深く、そういう見方もあるのかとか、気づいた点も多く、私自身がとても勉強になりました」

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