【ミラノ五輪】坂本花織が団体戦でも死力を尽くしたわけ「全員がほぼ完璧な演技をしたというのは本当にすばらしい」
ミラノ・コルティナ五輪フィギュアスケート団体でSPに続きフリーでも1位の演技を見せた坂本花織 photo by Sunao Noto / JMPAこの記事に関連する写真を見る
【受け取った「よすぎるバトン」】
ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケート団体。坂本花織(シスメックス)は、初日(2月6日/現地時間、以下同)の女子ショートプログラム(SP)では世界女王のアリサ・リュウ(アメリカ)を抑えてトップとなり、順位点10点を獲得し、納得の表情を見せていた。8日のフリーの連続出場については、坂本自身が「団体戦で金メダルを獲るために」と覚悟を持っての決断だった。坂本は経緯をこう説明する。
「団体戦のメンバーに選ばれた時にはショートかフリーか、はたまた両方なのかというのは正直、自分では決めきれませんでした。それで(日本スケート)連盟には『りくりゅう(三浦・木原)の動向次第で回答します』という形にしていた。連盟から『片方だけでいい』と言われたらどちらかを頑張るし、『両方出てほしい』と言われたら(その要請を)受ける覚悟はずっと前からしていました。年末に『両方』と言われたので、腹をくくりました」
団体2日目のアイスダンス・フリーダンスが終わった時点で日本は、アメリカに5点差をつけられての2位だった。その後、ペアの三浦・木原がSPに続き、フリーでもトップの演技を見せる。
「自分がウォーミングアップを始めた頃、ちょうどりくりゅうがアップを終えて上がってきて、その時に龍一君が『カオちゃんにいいバトンを渡すからね』と言ってくれた。その渡されたバトンがよすぎるバトンだったので、『すごっ』と思って(笑)。『自分もちゃんとやらないとな』という気持ちになりました」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。









