摂食障害を乗り越え24歳で初五輪 "遅咲きのスケーター"鈴木明子がバンクーバーで流した涙の理由 (3ページ目)
【大舞台の演技後に流した涙の理由】
五輪前哨戦となった2010年1月の四大陸選手権で、浅田に次ぐ2位で初表彰台。勢いをつけて臨んだ24歳での初の五輪だった。海外メディアも摂食障害を克服して出場した選手だと注目度は高かった。
SPは、優勝候補の浅田とキム・ヨナ(韓国)のあとの滑走。浅田とキムがそれぞれ73.78点、78.50点の高得点を連発し、会場の興奮度も高まったなかでの鈴木の演技だった。
最初の3回転フリップは手をつく着氷となって連続ジャンプにできなかったが、「冷静にできた」と次の3回転ループに2回転トーループをつけてリカバリーをして滑りきった。
鈴木は、「フリップの失敗だけではなく、全体的に硬さが出てしまったのでもったいないなと思いました」と演技を振り返った。得点は61.02点で11位発進。「とりあえず自分のシーズンベストは出せたので」とほほ笑んだ。
そして、フリー。「6分間練習で思うようにいかなくて気持ちが弱くなりそうだったけど、今まで練習してきた時間を信じようと決めて氷の上に上がりました」と言う鈴木は、丁寧な滑りで最初の3連続ジャンプと連続ジャンプを決めて流れに乗ると、スピンとスパイラルはすべてレベル4にする演技。
後半の3回転フリップが2回転になり、3回転サルコウも回転不足でわずかに減点されたが流れを途絶えさせず、終盤のステップは五輪の舞台に立てた幸福感を体中から溢れさせるように生き生きと滑った。
演技終了後は、涙。その理由を鈴木は、「この舞台で『ウエストサイド・ストーリー』を滑れるのを本当に楽しみにしていたし、お客さんの歓声も含めて幸せだなと感じる時間でした。でも、終わった瞬間は演技前の不安から解き放たれたという気持ちと、現実に戻ったというか......。演じている時の自分は(登場人物の)マリアだけど、終わった瞬間に鈴木明子に戻って感情が吹き出てきてしまいました」と説明する。
フリーは7位で、合計は大会前からの目標だった180点台に乗る公認自己ベストの181.44点とし、総合8位まで順位を上げる結果にした。
「五輪という舞台でショートもフリーも自分の目標にしていた点数が取れたのでうれしかったけど、コーチからは『全部できたら190点を目指せるぞ』と言われていたので。目標を達成したうれしさとともに、『次はそこにチャレンジしていきたい』という気持ちが出てきました」
<プロフィール>
鈴木明子 すずき・あきこ/1985年、愛知県豊橋市生まれ。6歳からスケートを始め、18歳の時に摂食障害を患うも復活を遂げ、2010年バンクーバー五輪8位入賞。2012年世界選手権3位、2013年全日本選手権優勝など数々の好成績を残す。2014年ソチ五輪に出場し、2大会連続8位入賞。現在は、プロフィギュアスケーターとしてアイスショーに出演し、振付師としても活躍する。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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