摂食障害を乗り越え24歳で初五輪 "遅咲きのスケーター"鈴木明子がバンクーバーで流した涙の理由 (2ページ目)
【激戦の末、勝ち獲った初の五輪代表】
翌季は2010年バンクーバー五輪シーズン。初めて意識する代表争いだったが、鈴木には苦しい時期を経験してきたからこその冷静さがあった。GPシリーズ初戦の中国大会ではショートプログラム(SP)4位からフリーで逆転し、自己ベストの176.66点にしてGPシリーズ初優勝。2戦目のスケートカナダは5位にとどまったが、ポイントランキング6位で初のGPファイナル進出を決めた。
そのGPファイナルは、SPでは2本目の3回転ループが回転不足となり5位と出遅れたが、焦らなかった。
鈴木は、「ループは跳び急いでしまって回転不足になり、降りた瞬間はやばいと思いましたが、あとは自分らしく落ち着いて滑れました。練習してきたことをしっかり出せたので満足しているし、お客さんに笑顔を見せられたのはよかったです」と冷静に振り返った。
その安定したメンタルが、フリーの結果につながる。3回転ルッツがエッジ不明確でGOE(出来栄え点)で減点されたが、それ以外は着実に滑りきってフリー3位。合計174.00点で、キム・ヨナと安藤美姫に次ぐ総合3位になった。
「(5位の)スケートカナダではすごく落ち込みましたが、次につながる階段だとプラスに考えたのがよかった。緊張はしていましたが、練習はしっかりやってきたので、それを信じて気持ちを強く持って滑ることができた。GPファイナルに出られることは自分でもビックリしたし、うれしかったですが、こうやってメダリストとして肩を並べられたのは幸せです」
フリーの演技構成点は5項目とも6点台にとどまったが、7〜8点台の評価をするジャッジも複数いたことは、さらなる可能性を感じさせた。
GPファイナルで2位になった安藤と男子では織田信成がバンクーバー五輪代表に内定し、男女とも残り2枠を争う決戦になった全日本選手権。前季から一躍日本のトップに加わり、このシーズンでもGPファイナル3位で優位に立って臨むだけに気負ってもおかしくない状況だが、鈴木からは冷静な雰囲気が伝わってきた。
「朝の練習は少し硬くなって思うように体が動かず、力みで空回りしていて不安もありましたが、一度ホテルに帰って気持ちを切り替えてきました」
そう話して臨んだSPは、キレのある動きの滑りでノーミス。目標にしていた60点超えを大きく上回る67.84点を出した。
「五輪が頭をよぎりましたが、その前に自分のやりたい演技、見せたい演技に集中しました。今季はGPシリーズに3試合出て学ぶことも多く、自分がどうしたらいい演技をできるかが少しずつわかってきたことが力になりました」
その後、中野と安藤が68点台を出したためSP4位発進となったが、暫定トップの浅田も含む4人が1点強の差のなかに並ぶ競り合いとなった。
2日後のフリーは、前に滑ったSP上位3人はトリプルアクセルを跳んだ浅田が合計204.62点で暫定トップに立ち、中野は195.73点で、安藤は185.44点。鈴木の自己ベストを大きく上回る得点を出していた。
そのなかで鈴木は落ち着いて、3連続ジャンプと3回転トーループ+ダブルアクセルを確実に決める滑り出し。しかし、3回転ループを跳んだあとのつなぎで転倒するアクシデント。それでも、鈴木は「転んだ瞬間は笑ってしまい、スピンをしている時に恥ずかしいなと思ったけど、その後のスパイラルの時に気持ちを切り替えられました」と集中し直す。
「最後は歓声がすごくうれしくてノリノリでした。終わった瞬間には、やってきたことがきちんとできたんだという気持ちが込み上げてきました」と納得する滑りにした。
結果は合計で中野をわずか0.17点上回る195.90点で初表彰台の2位。GPファイナル3位の結果も評価され、鈴木はバンクーバー五輪代表に選ばれた。
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