検索

初の五輪で4回転ジャンプ成功「出しきれた」とガッツポーズ 日本男子フィギュアの躍進を支えた小塚崇彦 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【日本男子フィギュアの躍進を支えたひとり】

 だが、5回目の出場となった世界選手権では、SPは4回転トーループとトリプルアクセルで転倒して13位発進。フリーでも前半のジャンプでミス。巻き返しを図ることができず、総合11位に終わって2位の高橋や3位の羽生の後塵を拝する結果となった。

 2012−2013シーズンは、スケートアメリカ優勝とロシア大会2位でGPファイナルに進出。同舞台では5位に終わった。

 翌ソチ五輪シーズンの2013−2014シーズンは、全日本で非公認ながら自己ベストの264.81点をマーク。羽生、町田樹に続く3位に入ったが、五輪代表には国際大会の成績を考慮された高橋が選ばれ、小塚の2度目の出場とはならなかった。

 しかしそんななか、ケガで辞退した高橋の代役で世界選手権に急遽出場。総合6位と、あらためてその存在をアピールした。

 そして2014−2015シーズンは、高橋と織田が引退したなか、全日本では羽生とジュニアカテゴリーの宇野昌磨に次ぐ3位になって6回目の世界選手権に臨んだ。だが、同大会では総合12位。これが小塚にとって最後の世界大会になった。

 少し上の世代の高橋や織田を追いかけ、ふたりと肩を並べるまでの活躍を見せた小塚。それだけにとどまらず、下の世代の羽生や宇野への橋渡し役も務めた。その安定したきれいなスケーティングとスケートに対するクレバーな姿勢で、日本男子躍進の時代を支える重要な役割を果たす競技人生だった。

終わり

前編から読む

<プロフィール>
小塚崇彦 こづか・たかひこ/1989年、名古屋市生まれ。2005−2006シーズン、初出場のジュニアGPファイナルで日本人男子初優勝。世界ジュニア選手権でも優勝を果たす。シニアデビューの2006−2007シーズンにNHK杯で初の表彰台に上がる。2010年バンクーバー五輪に出場し、8位入賞。2010−2011シーズンにはGPファイナル3位、全日本選手権初優勝、世界選手権2位と躍進。ケガの時期を経て、2014−2015年シーズンの全日本選手権3位。2016年に現役引退。現在は、全国各地でスケート教室を開催するなどスポーツの普及活動に取り組む。中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程修了。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る