高橋大輔の日本男子初五輪メダルまでの過酷な日々 一か八かで手術、厳しいリハビリ、一時引きこもり...... (2ページ目)
【新たな表現に挑み世界トップへと駆け上がる】
翌2007−2008シーズンはさらなる進化を見せた。2006年からトレーナーもついたなかで取り組んでいたのは、柔軟性をつけること。新採点システムではスピンやステップなどできちんと要素をこなしてレベルを上げるために必要度が増したからだ。
その成果が徐々に出始めるなか、プログラムでも新たな世界に挑戦。SPの『白鳥の湖 ヒップホップバージョン』だ。前季からコーチを務めているニコライ・モロゾフとともにニューヨークへ行き、ダンスレッスンを受けた。
それまでも高橋のステップは世界トップレベルだと評価されていたが、ピップホップの曲に乗った滑りは、技術の高さを生かし、さらにキレ味を増したこれまでにない表現世界。「昔から音楽がかかると自然に体が動き出していた」と言う高橋のダンサーとしての資質が前面に出て、表現力でも高く評価されるようになった。
その勢いはNHK杯連覇となって表われ、GPファイナルはステファン・ランビエール(スイス)に逆転され2位だったが、際どい勝負に持ち込んだ。全日本選手権は2位に35点以上の差をつけて圧勝した。
2年連続表彰台を狙った世界選手権は、4回転2本に挑戦し転倒もあって4位にとどまったが、その前の四大陸選手権では4回転2本を決めたフリーで175.84点をマークし、合計は264.41点。この得点はともにトリノ五輪でエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が出した当時の歴代世界最高得点を更新するものだった。高橋は世界のトップレベルに立ったことを証明したのだ。
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